もやすみなさい ―研究の1日の終わりに

火炎、着火して伝播するものに興味があります

無題

朝起きてマックブックを開いてこのタイピングを始めようとしたら、はてなブログを開くことができないという症状が発生していた。この前も同様の症状が起こって、理由もなく解消されていたので、今回もまたかと呆れながら再起動などのとりあえずできる対策をこなしていく。結局わかったことは寮のWi-Fiがつながらない状態になっているみたいで、それはMACアドレスの設定の件も絡んでいるんだろう。特別登録してもらうこともめんどくさいのでやらないでおきながら、フラフラといくつかのことをこなしている。頭の中にやるべきことがたくさん溜まっているみたいで、寝ているときに見た夢は殆ど覚えていないけれど、ホワイトノイズのように何らかの映像を見ていたことだけはわかる。そんなふうにして処理されているときのほうがバランスが取れていて、それでも現実に対する不安定感は少しだけ強いのがいつものことだ。体の怠さは相変わらず続いていて、そのために起床するときに強い気持ちが必要になっているのも、結構めんどくさいものだ。摂取している栄養に依存しているのかもしれないし、他にも運動とか睡眠の習慣を改善することで変わることかもしれない。昨日シャワーを水でしか浴びていないので頭が大変かゆい。終わったらシャワーを浴びに行くことにしておいて、映画は一旦見ないで研究室に行くことにしよう。その前に地下からデスクトップを回収して、その中のGPUを抜き取る操作までを完結したいと思ったりもする。それでその後は、Mac用の接続端子を購入する。その前にいくつかのことを試しておいたほうがいいのかもしれないけれど、それについては一旦考えないでおくことにする。やりかけたことがたくさん転がっていて、それの処理をしていたら一日が終わる気がする。予定の中にあるのは、3限の講義と夕方の炊事棟版くらいだけれど、それでもやらない溶けないと思っていることが多岐にわたるので結構大変な感じになっているなあ。プハに行くとだいたいセックスをしてしまうので、2時間位溶けてしまうので、そこらへんもあって少しだけ警戒してしまうところもある。できるときにやっておいたほうがいいこともあるので、それを出し惜しみしようとしてしまうところも不思議なものだと思うのだけれど。まあどうにかなるんだろう。頭がかゆい。さっさとシャワーを浴びてこたつの上でダラダラしていたい。映画を見ることを今日はやめておこうと思えるくらいには、やらないといけないことに追われている気がするのも面白い。明日のイベントの件を動かすために少しだけ焦っている気もするし、それ以外のことについても少しだけ大変な気がしている。まあどうにかなるだろう。射撃しながら前進していたらそれでいい。前進しなくてもいい。早めに手を売ってしまうとそのままお尻に火がついて仕事をできるのでありがたい。このタイピングが終わったら、投げられるボールは全部投げ返しておいて、帰ってきたボールも適宜無視しながらどうにかやることにしたらいい。ボールというメタファーは良くって、それは相手をコントロールすることができないということをきちんと内包しているのがありがたい。僕らにできることはボールを投げることだけで、それが手元にないときには何も送ることができないというのが正しいことなんだろう。あんまり気にしないほうがいい気もしてきた。それで何だったっけ。この前の寮のクラブのことで思い出すことは、そうまくんが隣りにいたときに作っていた焦りの感じと、そこから別のイベントに呼んでくれないだろうかという感じでもある。あとは鴨川さんも同じように来ていて、そのときにあんまり喋れなかったのも残念だなあと思ったりはした。他にもなおという写真を取る女の子だったり、外語の女性がインスタでいいねをしてくれていたので、こんなふうに繋がりを増やしていくのだなあと思ったりもする。美術館のエントランスの写真をアップしたら、かおるんがいいねしてくれたのも驚きではあった。細々とした知り合いが意外と僕の投稿を見てくれているのは面白い。インスタの運用をそれなりに真面目にやろうかなということを思ったりしているけれど、相変わらずアングラな運用になってくるんだろうと思ったりするがどうなんだろう。大本営的な使い方というか、何でも私生活のことをつぶやくような形では僕は使う気に離れないし、ビジネスとして完全に割り切って使えるほど器用な存在ではないらしい。まあそこら編についても、徐々になれていってくるものなのかもしれないし、Twitterでバズるような言葉の使い方をするようになりたいと思っているわけではない。普段は言葉少なに喋っておいて、時折本来のひねくれた喋りをするようになるくらいの感じでいいのではないかと思ったりするがどうなんだろうか。炎上する気もしないし、他にいくつかのこともやりたいこともある。あとはどうなんだろう。昨日の兵庫県立美術館のコレクション展で2017年のオーディオビジュアルよりの展示を見たけれど、池田亮司のパクリみたいなもので全然良くなかった。いや、良かったんだろうけれど、技術的だったりコンセプト的だったりする部分ではあんまり乗れるものではなかったなあ。奥行きが異常な空間でプロジェクションしていると少しだけ引き込まれる。空間の壁の設計も普通の立方体から歪んでいるのかもしれないが、それなら設営した人の妙になるんだろうと思ったりする。まあどうなんだろうか。はるかから時々、養ってくれそうな雰囲気を感じているのは良くないことだ。養ってもらえるかもと思ってしまうと、養ってもらおうというムーブになってしまうのがいつものことで、それ以外のことをどんなふうに行うのかということが大事なんだろうと思ったりするがどうなんだろうか。ビジネスのことができないなあという話を細々としている最中ではあったし、そのことについてははるかに相談しながら考えていたらいいんではないかと思ったりもする。まあどうとでもなるんだろうけれど。それで何だったっけ。新しい箱を作るという話に対してももはや全然乗り気ではない。研究職として残るということを勝手に頭が妄想しているみたいだけれど、それはあんまり考えなくてもいいことなんだろうと思ったりもする。その後にいくつかの問題があって、そして何だったっけ。あの教授をぶち殺したいという感情に襲われるので、それ以降のことについては考えないことにしておいて、そこからどんなことをやったらいいのかという話になってくるなあ。まあどうにかなるんだろうか。この前の准教授とのミーティングで雰囲気が悪かったことであるとか、いくつかの話は存在しているけれど、それでも今僕がやるべきこととしてパソコンに関する環境を構築するという話は存在している。そこらへんを研究室に行ってシコシコこなしながら、予定のない日にはプハだったり自分の部屋で制作をしておいたらそれでいいんだろうと思ったりするがどうなんだろうか。暇な時間を大切にしようと思っていたのに、そうでない時間をたくさん持ってしまうのも面白いものだと思う。商業的なことをあんまりやらないようにしておくと、自分の制作行為がそれなりに芸術寄りになってくるのも面白い。職業VJは美意識として完成されたものであって、芸術系の人たちがそれを超えることは難しいんだけれど、それとは別の方向で売り込むことができるので、そんなことは真面目にこなす必要はないらしい。商業と芸術の間を細々とこなしていくのも面白いことではあって、そしてひがさんだとか神田さんはどこに向かおうとしているのだろうか。一時期は芸術の方に進みそうな雰囲気もあったんだけれど、今は完全に商業の方に舵を切っている気がする。おとなになるということはそういうことで、家族をやしなわなければならなかったり、それなりに規模のでかいことをやろうと思うようになったらプロダクションを持って制作することが重要になるのだろう。その点で言えば、チームラボのようにアーティストがトップに居るわけではなくて、ビジネス屋さんがトップに居る製作所が商業的に成功しているのも面白い。そこら編のバランス感覚についても面白く思いながら、そして商業的な案件の依頼を小馬鹿にしながら進められるとオモシロイと思ったりするんだけれどどうなんだろうか。そういえば前回の反省の記事を作りたいような気がしていたけれど、それもどうやろうかという話ではあるなあ。言葉をきちんと話す人はあんまり少ないのでそれなりに需要が存在している気もする。バズることはないだろうし、たいへんよみにくいきじになるだろうから あんまり真面目に書く必要もないとは思ったりするが、相変わらず5000字書いて殴りつけるやり方をやってみたらいいんだろうか。それはそれで悪くないと思ったりするがどうなんだろうか。SEOをできるだけ削ぎ落としたブログというジャンルを持ち込むことも面白くって、それを通して現れてくる文体というものも存在している。おそらく小説というものはそういったものであって、お作法なんてものはほとんど関係ないのだろう。僕が小説を書くのに必要になるであろうことと言ったら、場面の展開であるとか、台詞回しのことくらいだけれど、春香しは面白がってくれているのでとりあえずはどうにかなるんだろうと思ったりするがどうなんだろうか。とりあえず彼女に見せられるような短編を書いて、他のいくつかの人に見せていったらオモシロイと思ったりするがどうなんだろうと思ったりする。欲動の蠢きのままに書き続けてみたら何かしらできるようになるわけで、そのためのトレーニングの一つがこのタイピングの技術だったりする。いずれ小説を書くことになるとは思うのだけれど、それがこのタイミングでいいのかということについては少しだけ検討の余地がある。それでも製作スピードをひたすら向上させていったら、作品の質も徐々に上がってくるのはたしかにそうなんだろう。小説を書くことができるような能力を身に着けておいたら、それだけでそれなりに食っていけるのではないかと思ったりするがどうなんだろう。渡辺さんはすでに小説を書いているだろうし、僕もそれにあやかってかけるようになることも悪くない。できるだけ余計なことを言わないようにしながら、他のいくつかのことを書き続けることが必要なんだろう。死んだ人間とたくさん会話することにしておいて、生きている人間とはできるだけ会話しない。そんな漢字の暮らしで悪くない。森博嗣とおんなじ戦術であるというか、他のいくつかのことをやっておこうと思うのだけれど、なかなかそれは難しいなあ。それでもある程度名前が売れてくれれば、そして勝手にこの作品が人気であるとかそんな話が出てくればそれでどうにかなる。映像の案件が一区切りしたらまた再チャレンジしてみてもいいと思うので、何かしらやってみることにしよう。それか朝の映画を見る時間を小説を書く時間に当ててしまってもいいわけで、その時間にひたすらタイピングを続けるという行為をとうして小説を書き続けておいたらそれでいいのではないかと思ったりするがどうなんだろうか。それはそれで悪くない。毎回1万字を書くことにしておいて、1万字の1章分をまいにち書いておいたら10日間くらいで小説が一つ出来上がることになる。何なら1万字だけで短い一つのエピソードはできるわけであって、しかしながら短い作品のほうが技量が試されている感じはある。小説なんてものは読んでいる時間の大半はつまらないものであって、結局読み終わってもつまらなかったと思っていることのほうが多い。それでもある程度型を守っていたらどうにかなるらしい。にんにくのにおいがするのはタカタさんがゴミ箱に突っ込んだ腐ったにんにくのせいだろう。きちんと処理をしてほしいと思うのだけれど、僕ももう少ししたらここを離れていくことにはなるので、あんまり気にしないことにしておこう。とりあえず今やるべきことは、Mac Book Proでの環境をなるべく早く整えること、明日のイベントを最低限回せるように動いておくことくらいで、あとのことはあんまり気にしないでダラダラと過ごしておいたらいい。ダラダラ過ごす時間とキビキビ過ごす時間をきちんと分けておいたらそれで構わないと思う。