もやすみなさい ―研究の1日の終わりに

火炎、着火して伝播するものに興味があります

無題

研究の相談をして後輩と一緒に準教授と会い見えて、その中で何かしら不安定な気分になってまだよくわからないんだけどほとんどの時間の間無言で目をつぶって彼らが話しているのを聞いていた。彼らの話している内容に対する興味をほとんどなくて、そしてその会話の中には何かしら僕を攻撃するものがあったように勝手に感じられて、もちろん彼らの中にそういったつもりがあるわけでは無いのだけれど、言葉の節々に自分をないがしろにされているような感じを受け取っている。最もひどい気分になったのは最初に自己紹介をしようと、それは学部4年にで新しく入ってくる人が自己紹介を普通するものだと言うからそれに合わせてやったことではあるんだけれど、自分が話しているときに準教授はほとんど耳を傾けていないし、途中で入ってきた別の準教授と長話を始めてしまった。その話の間中目が結構不機嫌になってきて、まだ話すべき内容は多少あったんだけれどその内容をさっさと切り上げてしまったが、当然話を対して聞いてもいない準教授は何の反応もすることもなくさらりと流してしまった。そのことが個人的には少し母になって、その後ずっと目を閉じてて濃い感じを出しながら話を聞いていたけれど、もちろん準教授はそんなことを気に留めるはずもなく何の音もなくただ虚しく自分が動かせる方向に犯していると、反抗期の中学生みたいな振る舞いになってしまった事は否めない。あまりにも手ごたえがない。研究の中でその話をする中でいくつかの学会について提案されていて、それが新しく入ってきた学生にとっては興味深いというか欧州と指定されていたのだけれど、僕にとってはそれも全部行う文化だなぁと言う事しか思わなくて。この2年ほどの間学会発表と言うものに対するイメージが全てなくなってしまって、ただうちわで名前をポイントを獲得するために実績を作るためだけに存在しているくだらない遊びだとしか思わなくなってしまった。遊びとしての面白さがあるならまだしも、オンラインで5分間のフィードバックをもらうそれだけのために一体何の研究やろうと言うのだろうか。あまりにもくだらない。それでもそのことを知らない彼らにとっては、それにそろそろ移動の制限解除されて東京や神奈川だったりいくつかの場所に行くと言う星を受け取っている彼らにとっては、そういった学会の存在もポジティブに捉えられるのだろうと思う。僕にとっては本当に無意味に思えてしまって、向こうで会うであろういくつかの人々にとっても対しても興味がわかないし、それでも東京に行っていくつかのクラブを回りたら楽しいだろうなぁと思うのでほとんど学会については興味を持たないままにふらりと行ってみようかと思ったりもする。それはそれで良いのだろう。他のいくつかの人々が僕の様子に対して何か言うかもしれないけれど、そんな事は気にする意味もない。森先生と私を話してもいいと思うし、そんなことを気にする気にもなれない。とにかく僕は教授と準教授に対する敵対の構造ができてしまったようで、それはそれでいいんだろう。はるかから言わせれば今になってやってきた反抗期と言って面白がってくれるのだけれど、こちらとしてはたまったものではない。反抗期を経なければならないのはそれなりの理由があって、それをきちんと犯行として消化する必要があるのだろう。これがいつまでかかるのかわからないし、後になって振り返ってみれば全くくだらないことだったと恥ずかしくなっているのかもしれない。そうなったらそれでそれはそれで良いのだけれど、まぁどうせ彼らも巨人や準教授たちもほとんどそういったことについて忘れてしまって、ただちょっと恥ずかしいことをやっている学生がいたなぁと思うだけのことになるのだろうけれど。それはそれで構わない。彼らがこういった僕らの犯行理解できると思わないし、なぜちょっと植田ぐらいにしか思わないんだろう。それでもこういった活動は彼らを治療するためにあると僕は勝手に尊大な思い違いをしているし、それを通して何かが良い方向に行くかどうかわからないがそれでも僕の生存戦略としてはそんなに間違いでは無いのだろうと思う。この状態を後1年間続けることができるのだろうか。おそらくできるだろう。研究から気持ちが離れていくのが修士の学生に置いておくことである程度限界を定められるようになったんだと思う。もちろん僕の気持ちがそれで研究のほうに向かっていくわけでは無いのだけれど、それでも以前に投稿した論文子のことであるとかいくつかのことが存在していてそれが良い方向に向かうかもしれないと言う淡い期待を持っておくのも大事なことだ。どのようにしたら卒業ができるのかと言う事はいつまでもいつまでもわからないけれど、いつか気分が良くなったらこれは卒業できるのではないかと言う気分になるのかもしれない。4年目になっても本当に出口がない状態にを直視してしまうと自称してしまいそうな心境になるがそれできるだけ教授準教授に対する頭を落としてまとめあげた方を聞くことにする。できるだけ攻撃の対象10分に向けないようにすること。そのために教授準教授こき下ろすことに勢力を使うこと。竹内さんが昔やっていたことを思い出す。竹内様ありたさんだったり中塚先生だったりいくつかの人に対して敵意をむき出しにして、研究室の内部でも敵対構造を作ろうとしていたことを思い出す。おそらくそれが必要なんだろう。自分を傷つけて身動きが取れなくなってしまうよりは中の声にしてその構造を利用することの方が正しいんだろう。その意味でも僕は巨人対する敵対構造を強化していく事しか頭の中にないし、もしそれがきちんと緊張関係を保っていればそのうち卒業できるようになるんだろう。森さんが言っていた真面目を惨めと言う言葉を思い出す。彼の意向を聞きすぎてそれに振り回されていたらどんどん僕のもところから離れていくばっかりで、それよりも彼の言うことを聞かないであるとか他のことをやり始めるとかそういったことを進めていく方が悪くないんだろうと思う。研究テーマの都合上外部に依存関係がなかったのは幸いなことであったし不幸なことでもあった。それでもやっぱり今僕はこうやって活動していられる事はその研究テーマのおかげでもあるし、いくつかの巡り合わせに感謝もするし恨みをする。ランドところで回何も変わることではないのでないしそれが何の季節もない。もうどうにかなるんだろう。空中戦においては僕の活動はそれなりにうまく入っていて、そしてこの後どんな道を開けるか全くわからない。何もすることができずにくだらない仕事をするフリーランスになるかもしれないし、中規模の会社を作ってうだうだと雑務に追われている社長になるかもしれない。そうなりたいと思ってしまうような気分があるのはるかがきちんと留めおいてくれているのはありがたい。一時期森さんと一緒にお店の形をやろうかなぁと思ったことがあるけれど、きっとそれは違うんだろう。僕のやるべき事は文章を作ることである。とは言え雨やのに水のように動物道を開いた時のように何かしら尖ったコンセプトのお店を作ると言うのも悪くない。それと私に何かしおの文章が書けるようになる行為であれば僕はそれで構わないんだと思う。文章を書いたり読んだりすることから距離を取り距離が離れていかないようにすること。それだけが大事なことであって、何を実際にやるかと言う事はそんなに問題では無いのだろう。博士号を取ると言う事は文章を書く上で大事なことであって、それに対して執着しているのは全く正しいことであるのだと思う。留年でも休学でも何でもやりながら大学でもして、それでもなお博士号を取れると言う感触を持っておかなければ、僕のその後の方向性と言うものが風になってしまいそうで恐ろしいものだ。今日のミーティングで精神をすり減らしたけれど、それでもいくつかの収穫があった。修士の学生はそれなりにやる気があると言うことを発見することができたし、その発見によって僕の気分が悪向いてくることも起こり得るんだろう。ここから大変くだらないことを手をお貸し行くことになるんだろうけれど、それをいかに継続できるかということが問題なんだろうと思う。もちろん僕自身が彼以上に仕事をしようと言う気分になっているわけではないが、そうだな。僕にとっての研究と言うものは研究室に行ってパソコン触ったり実験をしたりしている時間の事だけを指しているわけではなくて、朝から5000文字のタイピングをしたり、映画を見たり、映像を作ったり。他のいくつかの量の人たちと遊んでみたり、そういった活動すべてを含めて研究と呼んでしまったほうがいいのかもしれない。捉え方を変える事が1番大事であって、彼らから見たときの研究室の人から見たときの研究をしていると言うイメージに縛られる必要ないのだろう。それにサークル内外で文化的な活動に対して接近していくことができるわけで、いつかの人と一緒に勝手にやりたいと思っているトゥルーズの読書会であるとか、他にも機械学習に反し関して何か行うとかやりたい事はたくさんある。それらを細細とこなして行ったら勝手に僕の住むべき道はわかってくるのではないかと思ったりもする。きちんと緊張関係を維持しながら、それでも石を立てるために必要なものをきちんと確保しながら何かやっていくことを許しておけばいいと思う。世の中にうまく住むにはどうしたらいいかと言うことが問題であって、肩書をどのようにコントロールするかと言う事は二の次である。時間が味方していると昔思ったことがあるけれど、おそらくそういうことだろう。趣旨の学生が発表したいと思って手を貸してくれる限りでは何かしら成果が勝手に積み上がっていくシステムではあるし、それでこの大学の教員になると言うポストがなくなったとは言え、他にもいくつかの就職先というのは存在している。その時までには僕が研究外でやっていることも僕の名前の下に=してしまって、そうだな。この10月を過ぎたら僕がフルネームで活動してはいけない理由をなくなるわけで、それをきちんと地表に出てくるまでの知名度に上げてしまえばほとんど問題は無いんだろうと思う。この10月の解禁のタイミングでいくつかの情報を明らかにしておけばそれで良い。ノートパソコンが電源がつかなくなった事は災難ではあったけれどそれでまた別の環境でいろいろなことを試すことができると言うのはそんなに悪くない悪いことではない。ちょうどはるかにMacBook Proを借りたタイミングでもあったので、おそらくそういうことだったんだろう。いろいろなことわ上手くなるようになっているのだろうか。どこからかゲーミングPCが降ってきたらそれが1番嬉しいのだけれど。しばらくは自分でパソコン買う事は控えておこうと思う。もしくはGPUを購入しておいて外付けGPUとして後で使うと言うことを考慮しておいても良いのかもしれない。いずれ購入しようと思っていたことではあったし、マイニングをするかどうかはともかくとして多少のことをやっておいても損は無い。この量でマイニングをしたらどうなるかと言う事は未だ考慮されてはいないけれど、どうなんだろうか。税制の問題があるのでいつ始めるかと言う事は図書考えないといけないけれどそれでもどうにかなりそうな気がしている。楽しみなこともいくつかある。それをどんなふうにこなしていくと僕の中のリソースをどんなふうに開いていくかいろいろ考えようと思うけれどそんなこと考えなくてもいいような気もしてきた。陶酔会の駐車場から子供たちがワンサカ出てきていろいろな車に乗り込んでいくのを見るとなんとなく心がほぐれていくような気がする。もう金曜日でこの土日は予定もない。ほとんど何も束縛される事は無いのでそれに合わせて何も研究のことを忘れて、他のことを考えることにしようか。金曜日まではるかと会うことができていなかったので、そろそろ風呂にでも顔出して生活の調子合わせたいと思ったりもするまた向こうの寮のコロナ感染が落ち着いてきたらそれに合わせて向こうに移動できるようにしよう。いくつかの問題が存在していたような気もするし存在していないような気がする。お金がないような気もするしあるような気もしている。一応ちょっとだけ心配していたクレジットカードの引き落としに対応できないのではないかと言う話は、結局大丈夫になったようだ。まぁそれでも僕の物欲がとどまることを知らないしVRのゴーグルだったりMacBook Proだったりそういった後はオーディオインターフェイスか。そういったものを干しているのは相変わらずだな。このタイミングですべての除菌を使い切ってもそんなに悪い選択ではないと思う。ただ、ゲーミングPC何かの外で購入できるものに対してジャブジャブお金を突っ込むのはいかがなものかとも思ったりもする。GPUを購入するのは今がチャンスと言う話を聞いたことがあるが本当なのだろうか。結局新しい世代のGPUが出て全て値崩れしてしまって泣きを見るような気もするし、それはそれで良いのだろうか。どこかにGPUが積まれてパソコンが落ちていないのだろうかメルカリで買うにはいささか恐怖の方が高い。あまりGPUに依存した処理をするよりも、他のことの表現の行うことでリソースを使ったほうがいいのかもしれない。そういったものは後からついてくる。本当に少しずつの変化で大きな金額の差をつけていることにあんまりかかる面は必要なくて、それよりもゼロから1になるようなことにお金を使ったほうがいい。笑買うと言う話は結局どうなるんだろうか。400,000円を確保してそのお金で上を買って、それから音楽を作ることをシコシコやるようになったらそれはそれで面白いのかもしれない。とは言え古賀その道に住もうと言う気分はそんなにないし。それでも表現をずっと良くなっていくのであれば音楽を作れたほうがいいのかもしれないと思ったりもする。音楽と映像1人でやるそれはって言ったら楽しそうな気もするし、そんなことやっても仕方がないような気もするし。リストとしては悪くないのだろうけどエンジニアとしては中途半端な方向に行ってるような気もする。まぁそんなに考えることがないんだろう。周囲にそういったことをやってる人が多く集まっていたら自分でもできるような気がして、その時にすごいスピードで吸収できるというのは確かのことだ。そんな感じでまたやり始めたらいいんだろう。言葉でタイピングをすると言う事はあまりにも早く時間が過ぎてしまう時間が過ぎるわけではなくて文字数がどんどん積み重なっていく。排泄しなかった気持ちがほとんどで切ってしまっていて、後はご飯を食べてきちんとスクリーンの設営をしたらその後気ままにお酒を飲んで楽しむことにしよう。