もやすみなさい ―研究の1日の終わりに

火炎、着火して伝播するものに興味があります

無題

研究室を出て上に行ってそれから少しだけまた研究室に戻って充電器をとってそして帰ってきた。帰ってきて屋上にやはり登ってきて、少しだけ悲しくなった部分を外の景色を見て風を感じておとなしくさせようとしている。屋上では音は多少車の音が聞こえるが、所々僕の声が洗濯物を干しに来ている人たちの耳に聞こえているのかどうかわからない。聞こえていたとしてもその何を言っているかどうかと言う事は彼らにはきっとわかっていなくて、ただ人間が喋っていると言うことだけが認識できる状態なんだろう。ちょうど今日の市役所での老婆のように彼らを怪訝な顔をするだけで、それから殴りかかってくると言うような事はありえないのだ。雲の向こうにいる太陽はお前がかかったように光り輝いていてちょうど雲が薄くなっている水平上に並んだ23センチほどの間を縞模様を作っている。山並みは白く霞んでいてその向こうにうっすらと孤立した白い雲の影がかかっている。来たを見れば相変わらずの街並みで京都の低い人しか並んでいて南東の方を見れば将軍塚の周りには、少しだけ紅葉したような色の生地が生地の群が存在しているが、もちろんそれを紅葉と言うわけではなくて常緑樹の波野色が違うと言うことなんだね。そんなふうにしてしゃべっていると私の朗読か何かのようで、それはそれで楽しくて嬉しい気持ちになってくれる。もっとよ放っておくと結構きれいな言葉を使うものだと思ったりもして、そうだな。喋る事の上ではあんまり悪口を言うことができないのだろう。例えばここで嘘女を殺したいみたいなことを言おうと思ったところで、それはやっぱり難しくて。喋って続けている間はそういった憤りみたいなものを聞いてしまっている。はるかが持ちさんとの間の関係が少し良くないと言う事について、普通にしゃべらずに過ごしている間目のほうは少しだけ悲しくなってしまうのだけれど、こうやって喋ってる間にはほとんど何の感情も抱くことができない。特に京都タワーが見える。京都タワーの手前にあるぞくれんの方がより高い賃金が立っていて、このこじんまりとして街にはふさわしい小さな川だなぁと思ったりもする。相変わらず雲の向こうに対応開いてそれですりガラスことをした光のような柔らかい光が降り注いでいるが、その中で木々の葉はちらちらと光を反射してまるで脳震盪か何かになったみたいだハーブ葉っぱが揺れている間を見ていると心が安らいできて、日頃しっかりと固定されて動かない壁に囲まれた暮らしがいかにおかしなものであるかということを認識する。できれば紫外線の問題や気温の問題さえなければ風や日光浴びれるような暮らしをしていきたいと思うのだけれど、そういった暮らしを選べるようになるためには余計な努力が必要なるんだろうなと思ったりもする。陶酔会の古い建物があった場所は既に壊されてコンクリートで固められてしまって、カジキマグロの黄緑色のシルエットが印刷された番になって番が唯一と思っていてスコアロータリーのようになっている。おそらく陶酔会の駐車場ないし前にある道路がほとんどその送り迎えの車で埋まっていることに対する苦情への対応であって、そのためにはプールを減らすこともやむなしとなったのだろう。鳥栖1階の隣のプレハブ小屋は何なのだろうか消防の雪なのかあるいはどこかの工場の資材部などが置かれているのだろうか夷川発電所の周囲には少しだけ外呼吸そうな建物が並んでいて、その疏水の湖を眺められると言うこともまた1つのお金持ちを満足させるポイントなのだなと思ったりもする。とは屋上のフリーになっている部分に立ち上がって自転車が並んでいるのを眺めているとやっぱり不安な気持ちにな。いやそんなことはない気持ちは変わらないのだけれど太ももの筋肉が痙攣しているのを感じる。後ろに引っ張られるような重力を感じていてそれは自分が勝手に作り出したものなのだろうけど、こうやって勝手に体を本能のままに安全な方向に動かそうとしてくるのはどうにか解除できないものかと思ったりもする。このリミッターのせいでできることとできないことがやっぱりあるわけでそれが外れてしまったら確かに死ぬ確率はちょっと上がるんだろうけどその分できることが増えるのになぁと思ったりもする。ちょっととか思ったりするんだろうなぁとかそういった曖昧な言葉をたくさん使うようになったのは話し言葉だからと言う事なんだろうか。1人で喋り続けるとそういったことになってしまう。する相手が出てきてくれたらもう少しハリな発言が出てくるのかもしれない。独断的なことを言うのはやっぱり難しくて、それは病気の時にしかできなくなるか語りかけるに電話容量いる事は無いんだろうが生まれるのかと言われてやっぱりそれを怪しくてメモコノハズクの仕方はやくしまるえつこが朗読する旨のようなものであるのかもしれないと思ったりもする。しかしやっぱりそれが現実にやさしい手ここから宮沢賢治であったり振り付けリックのようなフィクションの様子に飛び立つことができるかと言われると怪しいものだ。適当にこっちを口を動かしていたらいつの間にか2000文字を突破していた。タイピングを行う時よりもとても楽に文字数が稼げるので良いことではあると思うが。それで考えることが進んでいるかと言われても怪しい。しゃべると言う事は自分の頭いや頭からアウトプット年出してそれをさらにインプットとして耳が効いて処理をすると言う過程が入って、そしてそこにさらに反省が入ると言うことがあってその反省のプロセスの中であんまり言いたいことが言えなくなっていると言うこともなくは無いのかもしれない。この発話している言葉を見つめることによって何かしら考えが変わるのかもしれないと思ったりもする。そのしっぽの資料間。その返ってくるものをちゃんと受け止めることができないとあんまり良くないのかも。何か考えることがあったんだっけ。考えること。大体は次のイベントをどうしようとか、今度の発表会をどうしようとか、はるか智仁さんの関係をどうしようとか、とても現実的なことに考えが縛られていると思う。やっぱり景色を眺めるほうに意識を向かっていてそう喋っているととても楽な気持ちになる。いつの間にか雲が羊雲のような状態に変わっていて少し白みが勝った青い空が見た見上げられるようになっているこれを天使の梯子と言うんだったっけ、昔波佐見町にある親戚の家から諫早の自分の家に帰る時海沿いの道にこんな風な太陽と空模様が現れてそれは願う天使の梯子と言っていたような気がするけれど、それを自分にははしごと思うことができなくてなんとなくこういったものなのかと言うことを覚えていたが結局それの違い天使の梯子とそうでない空模様との間の違いと言うものはわからないままであった。改めてこうやって検索エンジンが発達した世の中にあって検索をしたらわかると思うのだけれど、それをやろうと言う気分にもならない。こんなふうにしゃべっていることを誰かに聞かれていたらそれはどんな風に受け取られんだろうか。清香に電話をしているわけではないし、朗読をしているようにも聞こえる。、とか。とか変なことを言っているの理解しかねるとは思うんだけど。何か書くことあったっけ。人々は車は何の目的もなく右往左往しているように見えるし鳥明日の動きと同じようにとても自然なことだなぁと思ったりもする。景色のことを考えながらこうやって見ていられると言うのは良いことですそれはいろんな場所でやることでいろんな景色をしんみりと眺める機会に慣れていいのかもしれないと思う。しかしながらやっぱり当初の目的は何か鹿をみなすと言うことにもあってそれが景色をどんなふうに認識するかと言うことに執着してしまうとあまりよろしくないのではと思ったりする。かといって部屋の中でわざわざこれをやろうと言う気分にもならず、せっかくなので外に出て風を噛みながらやりたいと思ってしまうのが僕の常なんだろうな。あえて性的なものについて話すことにしてみようか。性的なもの。そのことの合う事は結局は叶わなかったけれど、それがむしろ僕にとっては嬉しくなったことであったりもするのもしぎなことだ。結局手に入らないものが存在していると言うのは嬉しい。手に入りそうででもやっぱり手に入らないもの。その間の可能性の振り幅が大きいのはなんだか嬉しくて、でもそれでもやっぱり断られたときには少し不安定になって、はるかとの関係だけでは僕のいろいろなものは一兎しないんだろうと思う。5月僕だけで閉じているのかどうかと言う事はわからないけれど、それでもやっぱり彼女はそれなりに独立していて1人でもある程度のバランスを取れる人なんだろうと思う。それはどうなんだろうか。そんなことがあって良いのだろうか。エーテルでものがまっすぐな状態に対して話し合いを持ってそれを確証していくということができるのかと言われると、やっぱりそれは自分にとって都合の良い議論をかけているようにもなって遥人から強烈に反論される可能性が高いと思ってしまうのもある。彼女は反射でロジックというか姿勢を示すことが多くて、そのことが僕にはやっぱり少し負担になっているのかもしれない。半袖抵抗を示されるということが僕にはやっぱり理解できなくて、いやそれでもやっぱり僕もそれを示すことがたまにある。空の雲鱗のようになって再び傷口を被っていく血小板のように青色の知られていただけど閉じたわけではないのかもしれない雲の切れ間になっていた部分は徐々に東側に流されていって再び体温があったあたりは朝すっかり追われてしまった。今日は走ろうかと思ったりもしたからどうしようか。体が少しだけ痛んでいて、それでも以前に走った時よりはだいぶ楽になっている気がする今日は少しだけ遠くまで走ってみて体の調子をミーティングと言うのも面白くあるDJの練習を少しだけやった後にそれを考えてみることにしようかな。明日ははるかとご飯を行くいやそういうわけではない。明日が暇で明後日にはるかと一緒に何かをするらしい。今週はとりあえずはそんなに忙しくは無いはずで、とは言え金曜日にはクラブの予定があったりして忙しくないのか忙しいのかよくわからない。でも3回目ともなるとある程度慣れてきた感じもあって、現場での対応で大体どうにかなるだろうと言う甘い考えもある。木曜日の夜位にはプロジェクターをつるすところまでで動かしおきたいと思ったりもするし、後はスクリーンの問題だけ頭の中でこねているものを解決できたらいいと思う。スクリーンのサイズをどのようにするかと言うことも問題ではあるし、他にもいくつかの問題がある。まぁしかしそんなに考えることも多くはなくって、他の人たちもだいぶ心強くなってきたことだし彼らに任せる任せるとしておいて、そうだなあと僕が人脈をどう広げるかと言うことをシコシコやっておけばそれでいいんだろうと思う。いくつかのDJとつながりを持っておいて彼らをあの場所に呼べての呼び出せるようになっておけばそれで少しだけコミュニティーと言うのは出来上がっていくし、後は集客をどんなふうに広げていくかと言う問題もあったりするがそれについては私入寮新入生が多少現れてくれるようになったらそれでいいんだろう。たまに現れてくれる新入生は入会を勝手に宣言してくれたりもして、それを嬉しかったりをするんだけど底からどんなことをしようかと言うこともある。抱いている音楽をやりたいと言う人であってそういった人たちはどうせ指導することもできず勝手に本本やってくれると思うのでそうだな、上の方でのというか連絡を取り合うところだけやってもらうことにしたらいいのかもしれない。彼らは彼らでコミュニティーがあってそのコミュニティーの人たちが切望してくれることを祈りながら、そうだなぁ来てくれる人が多くなるとそれでいいと思う。もう少しで5000文字になってしまう。今日はとりあえずお金を使い子もないことを頑張ってみることにしよう明日も同様にお金を使わずに、それでもやるべき事は少しずつ進めながらなにがしかの満足感かつ取れるようにしておきたいと思う。きちんと本を読むことが出来るようなこのような状態を悪くなくて、忙しいながらも本当は忙しくないのかもしれない。ある程度の精神的プレッシャーを受けた状態で、それでもやることが見つからないと言う状態が本を読むには1番ふさわしいのではないかと思ったりもする。