もやすみなさい ―研究の1日の終わりに

火炎、着火して伝播するものに興味があります

無題

今朝は気分よく目覚めた.いつもより早い時間に意識を回復して,そんなに葛藤することもなく起きることができた.それでいて,頭の中にあんまり多くの言葉があるわけではない.今日見た夢は壱岐市の職員の3輪の自動車の後ろの席に乗って山の中を滑走する夢だった.ほかにもいくつかの要素があったような気がしたが忘れてしまった.覚えているのは道の勾配がほとんどジェットコースターくらいあるところを,一度地面から離れて飛び上がった時に見える山並みと海の景色だった.どちらかというと西海くらいのイメージだったと思うけれど,この前にちらりと見た壱岐市のレゲエフェスのことが頭に引っかかってそう思い込んだんだろう.爪が伸びているせいだろうか.タイピングが妙にしずらい.特に一番下の段を押すときに,どこかに引っかかってしまうのでとてもやりづらい.いつも指の腹で押しているだけではなくって,指の先端で押している個所もあるので,その個所についての影響が結構出ている.今日の夜には西田と一緒に恵文社に行く予定だけれど,その後にお酒を飲もうといわれているがそんなにたくさんはいらないよな.前に今谷と鳥貴族に行った時も,ほとんど情報量のない食事をして3000円くらいとられたので,それくらいならどこか新しい店を見つけてそこで5000円くらいを支払えたらいいとは思う.そういえば前に森さんといった居酒屋は,料理はそんなにおいしいわけではなかったけれど雰囲気が良かった.そこで気づいたら12000円を支払っていたな.森さんはたくさん食べることをさんざん褒めていたけれど,あれは京都しぐさでなかったのかどうか少し不安にも思うよな.遠くから踏水会を壊すクレーンの音が聞こえる.戦地の住人の暮らしというのは常にこんな音がしているのだろうか.それでも僕らにはこの音によって怯える必要が無いのはらくちんではある.爪が邪魔であるという事が何とももどかしい.この1日でめちゃくちゃ影響が出たような気がするけれどどうなんだろうか.こんなに気になるのだったら爪をきってから再開したらいいようにも思えるんだけれど,どうにもそんな気分にはなれない.昨日は現代建築理論についての本を適当に読んで,その後にはラカニアン・レフトをぱらぱらとめくっていた.一応芸術やデザインについての知識とかぶっているところがあるので,アドルフ・ロースだったり,バウハウスル・コルビジェ,アールトなんかの有名人については事前情報がそこそこあったので興味を失うことなく読んでいられるのはよかった.個人的に興味のあった生成的な建築の話はあんまりなくって,大体設計者がコントロールできるという限りでの建築の話であったし,主な対立軸はゲマインシャフトゲゼルシャフトとか,装飾と機能といったところで,僕の今思っているようなパラダイムについての関心は無かったようだ.自然発生的な建物の生成という事について研究はそれなりになされているとは思うんだけれど,例えばウスビ・サコさんの記事の中でそれを読んだことがあると思ったんだけれど.こんなことを思っているのも,ジェネラティブ・アートの延長でたやすく生み出されるような考え方なんだとは思うけれど,それでも実践している人がどれだけいるんだろうか.いや,放っておいて自然発生するという事は建築家の仕事ではないんだろうな.建築家は制御することの中にあるだろうし,乱数を導入するという事は埒外の話になっているんだと思う.その点まだジェネラティブ・アート的な考え方は浸透していないのでどうにかする余地はあるのかもしれない.ライノを使ったモデリングをやってみたいと思うけれどあの人に教わってみたらいいんだろうか.そのためにはまず自分一人の体重を浮かせないといけない気がするけれど,そのためにVJをひたすら仕込んでおいたら良いんだろうか.WebGLを描けるようになったらWeb系の案件を受けてもいいような気がするけれど,其れって結構大変だったりするんだろうか.WordPressでしこしこやるのが時代の潮流だという話はよく聞くし,仕事にするんだったらそこら辺の知識もつけておかないといけないとは思うけれど.とにかく,一つの仕事で10万円を稼いでしまう事が出来たら後はボーナスステージに入るのであんまり気にしなくてもいい.それに200万円あれば20か月暮らすことができるので,実質5年目までは生きていけることが確実なのである.自分の体重をそれなりに浮かすことができるようになってから考えたらいいんだろうな.あの人とどこかで出会うタイミングはあるだろうし,それでなくても僕はフリーランスみたいな存在だろうからであって何か話しているんではないだろうか.稲田くんはまだしばらくは京都にいるみたいだし,彼とのつながりでも何か起こるかもしれないという事は少しだけ感じている.またどこかで出会うだろうから,ぼちぼち過ごしていったらいいとは思うけれど,それ以上にどうしたらいいんだろうか.時間が解決してくれることではあるので,ゆっくり待つようにしよう.あと3年待っていれば何かしらの権威付けが終了する.その時に大学のポストに就くか別の何かをしているかはわからないけれど,それでも何らかの権威付けのシステムからは離れすぎないようにしておきたい.これは現実の自分の暮らしをよくするためというよりも,自分の精神衛生上の健康を守るためであって,そのシステムから離れすぎると何もできなくなってしまうからだ.昨日呼んだ話で,権威に人が盲目的に従うときには何らかの享楽のメカニズムが働いているという事を思い出した.権威に貢献して自分がそれをまとおうとしているときに感じるめまいのことを思ってしまう.それは未だに自分自身を支配している.例えば林先生が国際燃焼に投稿しようといっているときのめまい.僕にとって特別重要ではないと思っているものであって,それが権威にとって必要であるという限りで重要になっている問題.そのめまいに引き寄せられて僕は何でも承諾してしまう事すらある.また別な時には,森さんからWombだったり舞踊について協力しないかという事を提案されたときの感覚.あの時にもやっぱり僕は何かを享楽していて,それに従っているうちに自分の肩書が権威付けされていくことを喜んでいることを感じている.すべては妄想でしかないんだけれど,それでもその妄想の中で喜びを感じており,その欲望を果たすために自分の欲求を棚に上げるという事を繰り返してしまうものだ.思えば学生時代のほとんどの活動がその延長にあったように思えるけれど,テストの点数だとか部活の成績といった権威をまとうために禁欲的な暮らしを送ることによって,自分を規律訓練して自己啓発していく過程.それを停止するシステムが全く存在しないままにひたすら権威付けされていった結果が大学に入学するという一生を左右する権威付けの成功として表れる.いまだって普通の一般人ですよという顔をしているんだけれど,たとえ居酒屋の末席や散歩の道中であったとしても,その権威を切り離すことができないことによって不思議な自尊心を保っている.そんな状態にあるという事を自覚的になったところで,権威を取り外すことなんてできるんだろうか.僕が出身校を秘密にするような未来はあり得るんだろうか.いかなる場所に出かけたところで僕の存在は大学名によって権威付けされているし,それが大学職員ともなればさらに強く働いているだろう.僕の周辺でそういった権威付けとして働いている場所が存在するかといわれたらほとんどないんだろうか.権威付けのためにはすべての人が知っている必要があるし,それに対していいものであるという価値観が社会的に付与されていないといけない.それこそ宇宙飛行士なんて言う職業も似たようなもので,誰もが知っているし,実際に行っている仕事はともかくとして,そこに対して好意的なまなざしが向けられている以上,権威にならざるを得ない.卓球だとか柔道だとかのスポーツ界だって同じメカニズムで動いていることは明らかで,出なければオリンピックのメダリストがコメディに出てくるはずなんてなかろうが.huesの記事だったり渋家の記事を読んだ時の微妙な不安感はおそらくこれから来ている.権威付けを手放すという事に対してのおそれがある.いままで気づかぬままに握っていた享楽から離れていくことを直視すると焦らざるを得ない.この妄想を基盤とした享楽のために,僕は再度大学に残ろうと考えていることに対して自覚的であるべきだと思うし,同じメカニズムが今の大学に入学するときに発生したことを思い出すべきだ.それ自体はいいとも悪いともいう事ができないが,権威付けというのは妄想でしかないという事を理解しておくべきだ.それは限界を示しているというわけではなくって,社会の中の共同妄想でもあるという意味で無限の可能性を秘めている.たとえば養老孟子の書いている文章を読んだことはないし,あの人が解剖学の先生だという事に対して驚きを禁じ得ないんだけれど,それでも東大の名誉教授という権威付けによってあんな風な立ち位置を手にしていることを否定できないと思う.Youtubeの動画を見ていてもわかるようにあの人の言葉にはそれほどの重みは無い.本を読めという話なんだけれど,そんな気分になるようなものでもないよな.養老孟子を左腕にしていくのはやめた方がいいと思う.山中俊治で中和したほうがいい.本を書くという事は何も頭の固い解説書とか哲学書を書くことだけを指し示す必要もあるまい.山中俊治のようにさらりとした文体で思っていることの2割も書ききらずに終えるという事の方がいいのではないかという事も思う.もともとの計画通りに,あとで大学人たちに勘違いされて大学教授になれるような仕事を在野でやっていくという事が僕の今のプランというか野望みたいなものである.そう,大学教授になるという事みたいだ.それは芸術大学の教授であるかといわれたら恐らくそうではないと思う.総合大学の教授になれるような適当な食い扶持を見つけることだ.土佐先生と会ったときに行っていたことだけれど,どこでもいいから大学で職を見つけろという話をしていたような気がするけれど,そのパラダイムについてはあんまりそそらないよなという感じはあるかな.大学で職を見つけるという事についてはどうやったらいいのかわからないという事が問題なのかもしれない.そもそもアートという活動自体いまだってどうやったらいいのかわかっていない.これくらいわかっていない状態で始めてしまう事の方がいいのだろうけれど,まずははじめることから始めないといけないよな.何の挫折もなく博士課程を出ていたら始めることはできなかっただろうからこれでよかったのだろうとは思っている.ある意味では自分の思い通りの方向に進んでいるのだ.現状を見る限りでは博士課程の卒業も危ぶまれているし,その間の食い扶持についても見通せないけれど,それでも僕は自分に必要なことがそろってきていることはわかる.あとは時間が解決してくれる問題でしかない.自分が何かを作り続けることを続けていたら現状は変化していくだろうし,その結果は遅れて現れる.今はこの作らないといけないという感情を絶やさないようにして,それでも権威付けのシステムとのちょうどいい距離間を模索しながらもがいてみるのが一番いいと思える.林先生のいう事はほとんど聞かなくていいと思っている.あの人は権威付けのシステムに飲み込まれているのは恐らくそうなので,そういった考え方しか持っていない.そして権威付けからはみ出た人たちの言説についても収集していくことが必要だろう.明確に矛盾した二つの態度のあいだで弁証法的に思考することによってしか新しい方法論は見つからないだろう.山中俊治みたいな方法を開拓することを僕の旨としたい.どれくらい権威にしがみついていくかという事が問題になっても来るとは思うけれど,それをどうしようか.とりあえず6年かけて卒業するという事が権威への服従として存在しておいたらいいとして,そして林先生から受けた,大学に戻ってくるなんてできるわけがないみたいな批判はいったんカッコに入れよう.彼らの言葉はどうしても強く響きすぎるのですべて無視するべきであるし,31歳になって働こうとしたところでどうとでもなりうるだろうよ.そこでうまく合致できないような就職先についてはこちらから願い下げにするべきだと思うし,後は自分とその周辺のコミュニティのげーむにもなるだろうから,そちら側の土壌を育てていくことにした方がよさそうだ.