もやすみなさい ―研究の1日の終わりに

火炎、着火して伝播するものに興味があります

無題

今日の研究会は16時30分から開始される.それまで結構時間があるのでスライドの作成もそんなに問題なく終わるだろう.昨日の夜には研究会で教授から否定されることを想像して頭が痛くなりかけたけれど,寺尾沙穂さんの歌を聴いているうちに回復してきた.歌に助けられることの多さよ.今日も歩いてきたがそれなりに寒かったので,手の筋肉があんまり本調子ではないのが分かる.タイプミスが多いし,頭の中で考えることも少し丸いような気がする.肩も痛いような気がする.朝起きたときの気分はそんなに悪くなかった.見た夢の内容も少しだけ覚えていて,あの子との情事に関することともう一つは研究室のことだったような気がする.昨日見た明晰夢の入門書みたいな本には,明晰夢を見ない人だったり夢を覚えていない人は安定していて神経症気質の反対だ見たいなことが書いてあったような気がする.クリエイティブな人はよく明晰夢を見るという話だったような気がするので,僕の場合に当てはまるな.クリエイティブではないという材料をしょっちゅう集めてしまうのだけれど,それでも何かを作りたいという感情がある場合にはどうしたらいいのか自分にはわからない.そもそもクリエイティブってどうやって評価してんねんという話ではあるのだけれど.アンケートの中に「自分はクリエイティブな方だと思う」みたいなチェックボックスがあるのだろうか.もうちょっとましだったら日頃創作活動を週に1度以上行っているとかそんな設問があるんだろうか.アーティストを対象としているかは怪しいと思ったのは,大学かどこかの心理学調査について調査対象を選択できるような方法がぱっと思いつかなかったからだ.右手が少し痛む.ドアが開く音が聞こえると少しびくびくする.今朝から何でか知らないが自分はパンセクシャルだなという事をどんどん思い込み始めているのだけれど.過去のこととかの中で男性との距離が近かったこととか,何なら大学の部活の中でそういった指摘をされていたことを思い出したり,高校時代の同期とか一部の人に対して不自然な振る舞いをしていたことについて思い至ったりしたものだ.そういった振る舞いの中に多型倒錯的なセクシャリティが反映されていて,それらを無意識で抑圧している過程が態度の中に現れてあんな風に自然にふるまえる相手とそうではない相手が分かれていったのかもしれない.いやそんなことはなくって,中学時代のほとんどいじめに近い暴力的な体験だったり,体臭をからかわれていたころのネガティブな感情の反動として,自分を受け入れてくれる人のことに対して必要い以上に好感を抱いてしまっているのかもしれない.人格形成の中でいろいろなことが起こっていて,その中で様々なことが起こったのはわかっているので,どうにもならないものなのかもしれない.今日は書き始めが遅かったので学生がそこそこ現れてきていて困ってしまう.このブログのタイトルを検索されてしまったらたどり着けるのだけれどその時どうしようかとかそんなことを考えてしまうのだけれど,どうしよう.そのことを考えていると,他の学生の動きに対して気を配る必要がそれなりに出てくるので,その意味で頭を使ってしまっていて,それはそれで自動記述のために,例えば論理的思考の放棄で書かれていたような頭にテンションをかけるという意味で悪くは無いのだけれど.ブログの名前をそれなりに一般的なものにした方がいいのだろうか.昔教授のインスタを特定したことを教えてもらって,そのブックマークを教授に見られたことを思い出したのだけれど,その時の教授の慌てそうな感じのことを思い出したものだ.いやしかし自分でも恥ずかしいのだけれど,そんな目に教授を合わせていたとは.そしてあのブックマークはどこに行ってしまったのか今ではもうわからないものだ.眠い.眠くない.タイピングはそれなりに早くできているような気がする.学生が授業に出かけてしまったので,すこし気が抜けてきてしまったが,それはそれでだるいものだ.研究もタイピングもめんどくさいような気分がわいてくるのだけれど.最近の悩みの中の一つには研究の先に特に喜ばしいことがイメージできないという事は大いにある.というか研究が気持ちよくないのだ.坂口恭平のお金の学校をちらりと読んだのだけれど,セックスとしていろいろなことを楽しんでいるような話があった.研究はセックスではなくなってしまったんだよな.それが何でなのかはわからないのだけれど.研究していても全然気持ちよくならない.どんどん不愉快な気分になっていくのだけれど.映像を作っているときにもいろいろパターンがあって,作っているうちに気持ちよくなってどんどんパラメータを探索していける気分の時と,作っているうちにどんどん気分が沈んでいってもうそれ以上作業をしていられないときとに大きく分けられる.それらの違いがなんであるかというと多分,適切な難易度で設定されていることを行って目に見えて成果が出ているという事なのだろうなと思ったりはする.研究の作業で比較的気持ちよくなれるのは,論文や教科書を読んでいるとき,コードを読んだり書いたりしているときで,不愉快な気持ちになるのは論文を書いているときだし,結果を眺めているときだったりする.インプットと作ることはそれなりに気分が上がっていくのだけれど,考察してアウトプットすることが全然楽しめないのがなんというべきか.修行だと思って泣く泣く取り組むべきなのかもしれないが,それにしてもそんなことで何かいいことがあるのだろうか.大体アウトプットの周辺までたどり着いていくと,これを論文に載せたところで何かいいことがあったっけという事を考えて何もできなくなる.気持ちよくないのは報酬の予測ができていないのかもしれない.ほかにもいろいろあるのだけれど.問題が難しすぎるということは多分あるのだろうな.難しいのだけれどどれくらい難しいのかよくわからないので,自分の能力不足であるという結論を抱えざるを得ないのだけれど.ほらこんなことを考えていたらまた頭が痛くなってきた.この分野が難しすぎて辛いものだ.板に水を噴射して論文を書いていた学生は,やっていることは全く面白くないけれど数理的な練習問題としてはよい問題を解いていたのだろうなとは思う.やっていることも結果も全く面白くないけれど.そういった問題を解いていくことが研究者として上手くやっていくために必要になる能力のうちの一つなのだろう.難しい問題をブレイクダウンして細切れのそれ自体つまらない問題にして,それらを解いていくうちにもとの問題を解けるようになること.まあ多分,大きな問題自体も象徴界にあいた穴みたいなもので,その周辺をうろうろしていたら定年までの猶予がなくなっていくようなものだろうなとは思う.自動記述のわりになんだか嫌な気分になってしまった.なぜ研究が書けないのかをそれなりに分析的に考えようとするといつも心理的な抵抗を感じる.心理的な抵抗自体は精神分析でいうと当たりであることを示しているので望ましくないわけではないけれど,朝のこの時間にして不愉快な気分になるという事は全く望ましくない.そういったことをうだうだと考えるのは夜にしてもらったらいいのに.結局アウトプットをどのように出していくかという事については結論の出ないままだった.論文の技法を読んでいる限りでは,おおよそどんな研究者もアウトプットを出すときに自分の未熟さを心配して心理的にまいってしまっているようなことを書いてあったような気がする.アウトプットの気持ちよさの不在の周辺で,結局うろうろするしかないのかもしれない.その気持ちよさが満の可動かはおいておいて,それでもやらなければならないという事を論理的にはわかっているという事は,なんらかの欲求が存在するのだろうか.論理的な要求と生理的な欲求の間の差異についていろいろ思ったりはするのだけれど.論理的な要求は愛の要求と同じことなのだろうか.欲望はその差分という理解であっているのだろうか.だいたい同じことであるような気がするのだけれど.論理的にいろいろ考えることはそれこそ象徴界での積み木を積んでいるようなものだし,その到達点としては愛されたいという感情があるはずで愛の要求と等価なんだろう.それでも論理的な要求で論文を書かないといけないという事と,論文を書きたくないという欲求の間の差分によって動けなくなっている感じはあるものだ.その欲望によって突き動かされる形で研究そのものに対するだるさが生じていることは否めないのだけれど,それを少しずつ解体していってインプットと作ることまではそれなりに回復してきたのがこの2年間の仕事だったような気がしている.あとは欲求の総本山である論文を書きたくないという欲求を解体するところまで来ているのだけれど,これにはだいぶ骨が折れそうな感じがする.こういった欲求を感じたことのない人間にはわからないだろうが,どうしようもなく難しいものだ.まあ,彼には彼の病理があるみたいなので,そこで得しているからといって特にうらやむべきではないのだけれど.今日は少しだけ嫉妬深いようで,なんか最近研究が上手くいっていないことの延長で彼をディスることが多くなってきているな.まあ,昔から彼との比較において感じてきた劣等感に,僕の意思決定が支配されていることは大いにあったのだけれど.それでもいま,どうしようもなく勝ち目がなくなった時にどうしたらいいのだっけ.最後までそれなりにあがいた方がいいような気もするけれど,ロカンタンみたいに手放して立ち去ってもいいような気がしている.その時にいろいろなあとくされというか,未練が残ってしまうと嫌なのでそのことについての精神的な整理がついてきたならいいんじゃないかと思う.そもそも解体すべきは論文を書きたくないという欲求ではなくて,博士号をとりたいという要求なのかもしれないというのは常々思ってきたことだ.この要求が手ごわくって,何度倒したと思っても復活してやってくる.直接の恩恵はそんなにないのだけれど,闇の力で復活して僕の意思決定をゆがませようとしてくる.そもそも入学時点ですら博士号を欲しいという感情はまるでなかったはずなのに,健康に生きるために目標設定が必要になって,そのために博士号という仮の目標が持ち上げられたにすぎない.その博士号という至極どうでもいいからっぽな概念のために,それが手に入るとか手に入らないという事を予測して一喜一憂していることの貧しさたるや.しかし今日は研究ディスがどんどん続いているのは,研究会が相当だるいからなんだろうなというのは否めない.何なら研究会で発表しないといけないことも解体しそうになっていて,発表しませんというLineを送ってしまいそうになっているけれどそれをするとまた周囲のすべての人を敵だと認識してしまうモードに入ってしまいそうで躊躇してしまう.多分教授と敵対したと思ってしまうとその感情のスイッチが入ってしまうみたいで,僕の中の認識である他人が地下茎でつながっているタケノコモデルが一気に攻撃色を示してくるのだ.実際にはそんなことは無いし,何なら教授も大して起こることは無いのだけれどそれでもその事実を確認するまではそれなりに悪い方に現実を認識してしまうという事がある.戦うべきは自分の中のタケノコモデルであって,教授本人でも個々の学生でもないことはわかっているのだけれど,それでもそのモデルを打ち破ることよりもタケノコモデルに攻撃されないような振る舞いをとることで楽に生きたいと思ってしまうものだ.やっかいなことばかりだが,とりあえず今日の研究会が始まるまではだらだらと準備して,タケノコモデルに対する攻撃という意味でくだらない発表をしてやればいいんじゃないか.発表資料を作ることはめんどくさいけれど,それよりも何もしないことの方がもっとめんどくさい.それなりにパソコンの前に座っていたら何かしらのモノができないこともないので,それを適当にみんなの前で話したり話さなかったりしていたら,今日もそれなりに生き延びるんだろう.そうやってやり過ごしていったら卒業できるとは思わないけれど,何とか生きることはできそうなのでそれでいいと思った.