もやすみなさい ―研究の1日の終わりに

火炎、着火して伝播するものに興味があります

無題

昨日に引き続きあんまり気分がよくない中で目覚める.日光は十分浴びているし,睡眠も十分とっているのだけれど,日中の精神状態があんまりよくない.いやそれよりも夜眠る前と朝起きたときの気分がとてもひどくて,太陽が沈んでしまうとどうしようもなくなる体質になってしまったのだろうか.研究室にいても日が沈んでくると気力が失われて猛烈に帰りたくなるけれど,みんなが帰っていないので帰りづらいという学部1年生みたいな感情が芽生えている.OBの博士号をとった人も似たようなことを言っていたので,この帰りづらさについての感情は普通のことで,今までの自分が鈍感だっただけかもしれない.しかし,夜が近づくにつれてしんどくなる状態については,いまだによくわかっていない.日光だけに頼っているだけではだめで,根源的な問題を解決しないといけないのだろうか.自己肯定感を上げないといけないという言葉は便利すぎて何も解決しないのだけれど,それ以外に何かしら解決の方法があるのだろうか.いや多分あるんだけれど,それは構造的な問題にアプローチすることが必要になるので,それよりもっと簡単で個人の努力で解決できるようなネオリベラリズム的な解決方法を採用してしまう気分になっているだけなのだろう.弁証法は矛盾を見つけてそれを乗り越えることによってジンテーゼを導くんだったっけ.そのためには矛盾を見つけないといけないのだけれど,いま自分が抱えている矛盾は多分,博士課程にいるのに博士号を欲しいと思っていないという事だろう.何でこんな状態に陥ったのかをじくじくと考えてみても,もともと博士号は不要だったのだろうという事に思い至ったりするだけで,それはネオリベ的な解決方法とは異なるところに落ちていくのだけれどどうなのだろうか.確かに自分の中に向上心が足りないとかいう結論に至ったらネオリベなのだろうけれど,それとは異なっていて,不足を不足として受容する感じになっているのでそこは大丈夫.しかしながら,こんな風にだらだらと堕落する方向に結論を出していくばっかりになっているのはまた別の方向への力が働いているだけで,そして個人の範囲でしか影響を及ぼさないような結論に至っていることは生産的ではないなと感じているのだけれど.思うに,問いの形としては,自分が博士号を欲しいと思っているのかどうかという事よりも,なぜ自分は博士号を欲しいと思っていないのに博士課程に入学したのかという事に注目するべきであるような気がしている.博士課程に入学するきっかけになった同期のところには,自分がそれを望んだということ以上にいろいろな社会的な養成だったり価値観だったりが絡んでいるので,それはある意味ではフェミニズムが結婚だったり出産だったりといった社会構造についてぶち上げてきた批評とつながるところもあるのではないだろうか.もともとのセクシャリティが多型倒錯していたところに,社会的な規範とか力によって整えられて生み出されたものがヘテロセクシャルだったりするのと同じように,自分の中の倒錯した欲求が社会の中のいろいろな要請とか価値観からの影響を受けるうちに整えられて,再度学生という状態をへるという結論を導き出したのではないだろうか.思えば退職する以前の自分の内部には大学に行くという事はそれなりに頭の中にあったのだけれど,それ以上に,何にも所属することなく日銭を稼ぐという考えもなくはなかったものだ.しかしながら,実際にその状態に近づくにつれて,肩書とか設備とかが必要であると,その理由は自分一人では何も生み出すことができないという絶望からだったと思うのだけれど,そんな気分に飲み込まれてしまったように思う.そもそも,自分一人では何もできないという考え方が正しいのかどうかも疑問であったように思えるのだけれど,あの状態ではその気分を強く感じるようにできていたのは確かである.原因はあの状態の中にあるのか,それとも育ってきた過程で身に着けてきた,何かに貢献しないといけないであるとか,誰かから必要とされていなければならないという観念がおかしいのではないかという事に疑問を向けるべきなのではないだろうかと思うのだけれど.山中さんが言っていたように,会社とか学校から外に出たら,しばらくは誰からも連絡は来ないしほとんど無視されているような状態に陥るものなんじゃないかしら.人が一人生きていくうえで,それくらいの連絡で本当は十分なはずであって,むしろ,仕事の連絡でがちがちに絡み取られている現状こそがおかしいのではないかというのは誰でも思うところだとは思う.しかしながら,これがあたりまえでない規範を持っているときにはこの状況は結構つらいんだと思ったりはする.特にそれまでの会社でのつながりが絶たれてしまった後に孤独になってしまっていたら,そんな状態に耐えられるとは思わない.山中さんの場合には奥さんと共にある意味で自閉的に防衛していたのだろうからそんなにつらくなかったのではないかと思うのだけれど,僕と以前の恋人の間ではそううまくはいかなかったな.肝心なことはおそらく,誰かとの連絡とか仕事で忙しくしていないという価値観を共有できていない相手とはほとんど話が通じなくなるという事なんじゃなかろうか.お互いに悪気はないのだけれど,ほとんど信仰の違いといっていいようなもののせいでそういった気分になっているのは確かである気がする.その意味であの子のやる気のなさについては結構好きだったりはするのだけれど,それはそれでめんどくさいところがあったりするのでどのように折り合いをつけるのかをぼちぼち考えていったら良いんじゃないかと思う.問題は当面生きていくためのお金をどのように稼いでいくかという事なんだけれど,そのためには映像のことだけでなくて自然科学からどんなふうにお金を稼ぐかを考えたりしたいと思っている.一番らくちんなのは自分が書いている文章でお金が入ってくるようになることなんだけれど,そういった方法ってどっかに無いだろうか.エッセイを書いてギャラをもらえるなんてすばらしいではないか.森博嗣みたいに小説を書くことから始めてみるのもいいのかもしれない.インターネットを介してエッセイストとして名前を売る方法もそんなにないわけではないとは思うのだけれど,調べたら出てくるのだろうか.小説家がエッセイを書いているといっていた気がするので,彼女に聞いてみようかなと思ったりはする.あの子と一緒に暮らせるくらいのお金を稼げたら,後はそんなに不満があるわけではないと思うのだけれど,あの子が誰かと暮らすという事に対して前向きである気もしないのでそのことについてはあんまり考えにくいように思うかな.まあ,特別結婚にこだわる必要があるわけではないので,ぼちぼち考えながら他の人とくっついたり離れたりしていたらいいんじゃないかと思うのだけれどどうだろう.研究から嫌気がさしているあまりにこんなことを書き連ねてしまった.Canteraのソースコードを改良するやつをもう少し続けてみたらいいんじゃないかと思ったけれどどうしようか.それよりもCHEMKINの改良という形で進めた方がいいのかもしれないけれど,どちらが最短経路であるかはまだよくわからない.Canteraのコードを理解してコミットしたほうが,自分の勉強のためにはいいような気がするけれど,CHEMKINの方が先生の知見が残っているので楽であるような気もしている.まあ,どちらであろうともそれなりに難しいが解けない問題ではないと思うので,あと1か月くらい継続して取り組んだら何かできるのではないかと思っているのだけれどどうだろうか.論文の執筆はほとんどやる気がなくなっているけれど,それも来週に先生の部屋にこもればどうにかやり始めるだろう.興味のあることしかできなくなっているのは明らかだけれど,まあそれでもいいのだろう.いったん研究に対するやる気が出てきた感じがするところで,もう少しで例の企画が始まるなと思ってそわそわしてきたところだ.トイレにも行きたいがとりあえずこれを書き終わるまでは我慢しようではないか.将来のことについて,研究以外のオルタナティブな道を探索しようという事を改めて考えていたらそれなりに気分がよくなってきたことは感じている.レヴィストロースが悲しき熱帯で小説を書いていたことを吐露したように,この道を進む人は誰もが別の道を進むという妄想をしながら生きているのではないかと思う.その途上で本当に別の道にジャンプする人もいれば,結局研究の道に抑圧される人もいる.僕がどちらの道を歩むかはよくわからないが,あと1年と少しの間に何が起こるか次第で相変わらずカッコに入れておかないといけない.映像のことと文章のことを続けていたら何か起こるかもしれないし何も起こらずにそのままレールに乗っかるかもしれない.映像のことに関するアウトプットはともかくとして,文章に関するアウトプットをどのように出していくかについては他のいくつかの人に相談してみたらいいんではないかと思うのだけれど,それこそ文学部の人とか小説家に聞いてみたらいいんじゃないかと思っている.どうにかしてうまくやっていくことを模索することは前向きで楽しいものだ.いやいや研究をやっているときと比べてはるかに気分がいい.そうこうしているうちにおなかの具合もどんどん悪くなってきていて,例の企画の時間も近づいてきている.寮の人々がきているなら適当におしゃべりしたりしよう.B3の人はそんなに来ていないだろうが,去年の感じでいうと女性が結構たくさん来ていたイメージなので,それこそ修士2年の人らを連れていきたいような気がするのだけれど,今朝は起きるのが遅いようでなかなか現れない.むむむ,やりかけだったCanteraのビルドの続きをやりたい気持ちが鎌首をもたげてきたのでそれに早く着手したい.あと1000文字も書くことなんてないような気がしてきてさっさと辞めたいのだけれど.こんな気分になることも珍しいものだ.自転車を止める音とドアが開く音がしたので誰かが来たかと思ったがそんなことはないようだ.早くトイレに行きたいし,コードを書きたいし,例の企画を見に行きたい.はんぶんくらい躁鬱に近い状態になりながら,この文章を書いている.眠くないぞ.コーヒーをスタバのTallサイズくらい飲んだから全然眠くはない.恐ろしいほどワクワクしてきたのは祭りの前の気分でそれは統合失調症的と一時期勝手に思っていたような状態ではある.今日は何か想定外のことが起こりうる本当に珍しい日である.一番の不確実要素は北野さんのことなんだけれど,あの子がすごいことをやりそうで気になる.モモの物語の主人公というのはきっとあの子のような人だったのだろうなと思う.モモを読んだことは無いのだけれど.いつかミヒャエル・エンデの本をきちんと読む機会を設けたいと思っているのだけれど,家に帰ったら読めるだろうか.今年の規制のタイミングでヒカルの碁とモモは読みたいと思う.帰省もどれくらいの間で着るかわからないが今年くらいは他の人々との飲み会も解禁されてそうだし,他の兄弟とも会うことができないこともなさそうなので楽しみではある.しかしながら,それ以上にやるべきことがあったような気もしたり無かったりするのだけれどどうなのだろうか.本当に書くことが特に亡くなったみたいなので,本当に自動記述を使用かな.頭の中に浮かんだことを雑にトレースしていこう.頭の中に浮かぶことなんてじっと見つめているとあんまり出てこなくなるので,大体は完治しているセンサーのことを記述することになってしまうのだけれど.遠くでグレーチングを踏む車の音が聞こえる.もう少しで終わる.北野さんのことを思い出す.そしてあの子のことを思い出す.最近この画面を人に見られることが多くなってきた気がするので,名前を検索してたどり着かれるのではないかと不安になっても来ているのだけれど,その意味では,アクセス解析Google検索からのモノが多くなってきたら考えることにすることにしよう.まあ,見つかったからといってそんなに困ることもないのだけれど.