もやすみなさい ―研究の1日の終わりに

火炎、着火して伝播するものに興味があります

無題

昨日は中国人の小説家がYoutuberになりたいと言っていたので,そのために京都の町をカメラを片手にうろうろしながら動画をとっていた.カメラ楽しい.Sonyのコンパクトデジタルカメラはとても小さいのに光学ズームが使えてそれなりにきkれいな絵が取れたんだけれど,ピントをマニュアルで調整することができなかったのでそこがもどかしかった.家に帰ってきてSigma fp Lを購入したい欲求が高まってきて,採算度外視で買ってしまおうかと思ったくらいだった.いやはや欲しい.一緒に動画をとる機会が3回くらい繰り返して,きちんと需要がありそうだという事に結論がついたら買ってもいいとは思う.VJの時に映し出すのに使えるらしいし.まあそれはあんまりクオリティにこだわるものでもないので,どちらかというとウェブ会議で使えますよという点で喜ぶべきなのかもしれない.せっかく買うなら現実で動画をとる機会も増やしていきたいとは思ったりもするけれどどうしよう.かおるんとかりおなとの関係で,カメラのことを教えてもらったりしたらいいんだろうか.それもまた楽しそうだとは思う.いやはや,カメラ沼にはまる人々の気分もだいぶ分かった.あまぎさんみたいに商品レビューをできるくらいのブログを作れたらと思うけれど,それはまた別の話.購入するとしたら会計上でどう処理するかを少し悩むけれど,特別経費みたいなものにするしかないんだろうか.今の難点は収入から逆算することができないという事ではあったりするので,単純に消費していくしかないことにいらいらする.それで入ってくる収入と一緒になにかやるという事もできないのが少しむかついたりしているけれど,それはそれでいいか.適当に北野さんのカメラマンでもやりながら,Youtubeで広報活動でもしていったら楽しいのかもしれない.自分の名前のYoutubeチャンネルで,適当なVlogを更新していったらそれなりに面白そうな気はする.人の顔を勝手にアップロードしてYoutuberにしていく作戦みたいなのも面白そうだ.人のモチベーションに乗っかるのが一番楽で楽しいというのはやっぱりそうで,録画した動画をトリミングしてつなげてBGMをつけただけでサンがめちゃくちゃ喜んでくれたのは素直にうれしかった.本職の人たちがゴロゴロしているところに行くと結構大変だし,変な注文を付けられてしまって大変だけれど,そういったつながりを持っていない人たちに対して協力すると,それなりに好きにやらせてもらえるし喜びもすごいのでありがたい.多分値段の設定も殆ど言い値でやってくれそうな感じはするから,時間当たり1000円くらいでカウントしておこうか.とりあえず今は一緒にうろうろしたので5000円くらいで,編集に2000円くらいで7000円くらいになるんじゃないかな.まあ,お金がもらえるとしたらそこらへんで対応させてもらったらいいか.大体週に1本くらいアップロードして1万円くらいだとしたら,月に4万円で4か月取り組んだら20万円くらいにはなるのか.それくらいもらえたらそのお金でsigma fp Lを購入できないこともない.サンに相談してみるか.いいカメラを買いたいからお金のことを相談するみたいな話をする?このカメラ買いたいんだよねという話をして,どれくらいお金をもらってもいいのかという事を聞いてみようかしら.そこは生臭い話だけれど,それでもドライに突き付けないといけないんだろうな.まあ自分の生活が懸かっていないのであんまり真剣に値段交渉をする気にもなれないからあれだけれど.まあいいや.それなりに遊びながらやっていったらよろし.お金のことも継続のことも手ごたえ次第なところはあるし,それに毎週どこかに動画を撮りに行くという事も結構大変そうではあるので,それをどうしようかという事くらいだろうか.今はまだめんどくさくはないけれど,あとあとめんどくさくなった時にどうするか問題もあるし,あんまり考えすぎないでサンから仕事が降ってくるのを待つことにしよう.今日もサークルの集まりがあるけれど,正直今日はやることもないのであんまり乗り気ではないかな.この前すっぽかされた一件のこともあるし,今日はお客さんもいないので何ともという感じはある.まあ8時に行くという事になっているけれどあんまり気にしないで10時くらいにつくくらいの感じで出かけていったらいいんじゃないだろうか.少なくとも一人であそこで過ごしているよりはいささかましな気がするし,何かしら連絡が入ったらネオに向かう事にしよう.どうせあの人たちは遅れてくるので,その時間に合わせていった方がいい.ナガブチ君はいつも何かしらの用事が入っているらしいんだけれど,それはテスト勉強のためかもしれないなあ.結局VRのことを何か調べると言っていたけれど,本人がいないと話すこともできないので進みようがないとは思っているんだけれどどうなんだろうか.まあ,何かしら議論するのは悪くないのかもしれないけれど,その時に他のことができなくなるのはちょっとしんどい.時間通りにお店に来たとしても,開いているかわからないし後はいくつかのことがあるので何とも言えない.森さんとかかわるときに大変なのは,あの人の時間が読めないので約束通りに動くと大体損をするという事である.そのために妙な腹の探り合いをせざるを得ないのが大変.まああの人が遅刻しまくるのだから,それと対称に僕も遅刻しまくるべきなのかもしれないけれど.それくらいでちょうどいいのだろうから,今日もきちんと遅刻することにしよう.最近は眠りの質が良くなったので,精神的な安定感がすごい.完全に安定しているというわけではないんだけれど,回復力がすさまじくって夜眠れずに悲しくなることがほとんどない.これで昔みたいに研究をゴリゴリ進めるモードに入ったら完全に条件は一致するんだけれど,それはできないので何が原因だったのかというと判別不能ではある.しかし,ヨーグルトを飲み始めたタイミングと有意に相関しているので,ある程度ヨーグルトのおかげだという事を確信しているのはたしかだ.ヨーグルトはんぱない.うつ病に聞く食事みたいな本が出回っている理由もそれなりにうなずけるものだ.腸内環境を整えることをもう少しやってみた方がいいのかもしれない.そもそも僕の精神的な不調は内臓とリンクしている感じは前々からあって,適応障害になった時は吐き気から始まっていた.今でも腸内環境がいいわけではなさそうで,舌苔が毎朝びっしり生えているしそれを取り除こうとしていくつかのことを試したけれどどれもはかばかしい効果はない.庁のことをどうにかしたほうがいいのは確かだろう.それかもしくは熱い飲み物を飲みすぎているのが原因なのかもしれない.サザエさんが出店で恐縮なんだけれど,熱いものを飲みすぎると胃を壊すという話があったような気がする.コーヒーだとか食事の中でも覚ましてのという行為がほとんどなくなったなあという事に気づいた.そういえば周囲の人が覚まして飲んでいるときも,僕はスンスンと飲んでしまっていたので,そこは確かに違和感を感じるべきところだったのかもしれない.知らんけれど.今日は研究室に行って卒論の添削を進めた後に,講義を受けて,家に帰った後になんかしていたら10時くらいにネオに顔を出して何か話して24時くらいに家に帰るくらいの予定かなあ.家に帰ってからの2時間くらいの自由な時間の間に小説でもwebglでも何かしら進められるとありがたいなあ.そうだクラブの件をあづさんに話そうと思っていたのに全然進まないままなのでそれをどうにかすることにしたい.食堂かどこかであづさんを探して話をつけることにしよう.今日帰ってきてからできるだろうか.わからないがまあやってみるか.VJをやること自体は,過去の材料を使っていたらそんなに大変な事でもないだろうから適当にやったらいい.最近は新しいことを開拓することもほとんどやっていないので,そこらへんはあんまりやりすぎないようにしながら進めていったらいいのではと思うけれど.今回はプリレンダーで表現するという事を主軸にして進めようかと思ったりはする.熊野寮の動画をあづさんだとか誰かからもらって,それにエフェクトをかけてぼんぼん流すみたいな感じでしばらくは使えそうな感じがする.基本は動画と画像をメインにして回してみたらいいんじゃないだろうか.TouchでやるかResolumeでやるかは微妙なところだけれど,両方でやれるようにして置いたら楽なんじゃなかろうか.エフェクトを作るのはめんどくさいのでResolumeでやることにしておいて,音反応のところだけはTouchで後から作ることにしよう.最低限やるべきことはResolumeで適当な動画を流し続けることだけなのでそれは非常に簡単.まあどうせ,大してクラブ慣れしている人が現れるわけではないのでそこはどうにかしよう.あとは適当に政治的な動画を流しておいたら,勝手に意味をくみ取ってくれるだろうから気にしない.寮のことで真面目にやりすぎるのもめんどくさいのでやらない.ふざけた調子で適当にやることにしておいたらいいだろう.誰かに起こられるわけでもないだろうし.あとは知らない,当日に適当に現場で合わせていったらいいんじゃないかね.知らんけど.まあ話してみることにするか.いやラインすることにするか.とりあえずは日時を確認することにして自分が行けるのかどうかを調べて置いて,行けるならいこう.いくつかのDJと知り合いになれる機会でもあるし.何ならナガブチくんにも声をかけてVJしないかどうかを聞いてみたらいいのかもしれない.それこそいくつかの人たちに声をかけてしまって2時間交代くらいでまわせたららくちんだなあとは思うけれどそれができるかどうかは微妙である.それにしてもネオでレーザーを導入すると言っていたけれど,そんなことをして喜ぶ人がいるのか微妙であることこの上ない.あの居酒屋はあんまり異空間であるという感じがない.というかもう少しましな椅子にしてくれたら,それなりに居心地がよくなるとは思うんだけれど,居心地と書きにしていないからいいのか.回転率重視なのかもしれないけれど,回転以前にお客さんが来ていないのをどうにかしたほうがいいと思ったりはする.クラブっぽい感じにするんだったら,それぞれの椅子を個性的なものにした方がいいような気がするけれどどうか知らん.まああのお店の経営のことは僕の知ったこっちゃないのであんまり考えてもしょうがないとは思うけれど.それにしても外部でお金を集めている人たちとそれなりにあっていると,自分がお金を集めることもそれなりにできそうな感じがしてくるので面白いものだ.まあ知らない.それはそれでいいと思うし反面として研究から離れすぎてしまいそうで少し怖い気持ちもある.まあ,研究室に通っているのは自分の精神衛生上の問題をクリアするためだけの理由でしかないので,それをしなくても健康でいられるなら通う必要は特になかったりはする.卒業すること自体はそんなに意味のあることではないし,既に権威付けは終わっているといえば終わっている.今週から週休3日にしてしまっても悪いことはないんだけれど,まあ悪くはないなあ.適当にリモートで仕事をしていますといって,まったく研究を進めない当こともありっちゃありである.外部で協力する知り合いがいたらそれでいい.僕がつらくないならそれでいいんだとは思う.さすがに金銭を受け取る活動のために休むことにはなると思うんだけれど,それはそれでいいか.あんまり映像の本職をやりすぎると大変なので,どこかで出口を見定めておかないとそれ専業に飛び込むのは悪手なので気を付ける.その教育を受けてきた大学生には勝てないので,勝負する土俵をいじくらないといけないことを思うなあ.それに最近では情報系の芸術屋さんがポコポコ出てきているみたいだから,そことの食い合いについても考えないといけない.まあ僕自身がその流れの中にあるといえばそうではあるんだけれど.文系学部と芸術系の人たちと理系の人たちの間でうろうろすることにしながら,その間をつなげるためにどうにかしよう.まあどうにかなるかどうかはわからないけれど.

無題

Edgeにむかついている.FireFoxがログインできなくなったのでEdgeでログインして書いていたんだけれど,途中で応答がなくなってページを閉じる羽目になることが今日で2回になる.FireFoxのキャッシュを削除したらこちらでもログインができたので,ここで書くことにする.ここまで書いていた1300字はきえてしまったが,どうせ大したことは書いていないので気にしない.このごたごたの間に朝ご飯を食べたりしていたせいで,書くこともなくなってしまった.気まぐれに確認した回線速度は120 Gbpsだったのすごい.昨日はTinderで知り合った女の子が借りている一軒家に遊びに行く,というか住んでもいいよという話をされて驚いている.「誰か知らないけど住んでいる人」枠が開いているのでそれをやってもいいよとのことで,それを許容しているその子もすごいんだけれど,それに対してそこそこ乗り気である自分も怖い.なんか終電を逃した人を捕まえて騒ぐとか言っているし,絶対にノリが合わないとは思うんだけれど,それでも試してみようと思っている当たり自分はふっかるだなあと思ったりする.まあそれが始まる2月ころまで連絡を取り続けられるとは思わないけれど.シェアハウスを作りたいとプロフィールに書いていたことが引っかかったみたいで,意気投合したら何か作るかもしれない.あんまり期待はできないけれど.まあ失敗したらそれはそれでいい.宿泊費と酒代をカンパしろとのことだったけれど3万円はしないだろう.そこら辺を適当にちょろまかしながらやっていったらいいっちゃいい.いきなり3万円を突っ込むのもリスク高めなので,数日たってから考えることにしようかな.まあそこはバランスをみながら適当に.今日は森林食堂でサンと会って,その後多分散歩するんだろうか.適当に最近のこととかを話したりした後に,研究室に行っていつも通りだらだらと研究することにしよう.そんでなんだったっけ.明日は一応ネオで集まるらしいけれど,オミクロンのこともあって身内での買いにしようという話もありあんまり人を呼ぶという感じでもないなあ.ちばみかを誘いたい気持ちはあるけれど,いきなり森さんとかのモラハラおじさんの前に知り合いの女の子を連れていきたい気持ちはそんなになかったりはするんだよね.それにあのスペースに人が少ない状態では結構心もとない感じがするので,できればそれなりに人が集まった状態で呼びたいと思うものだ.となると少なくとも次回に回したいと思ったりするんだけれどどうなんだろうか.声をかけるなら複数でやっておいた方がいいと思っているけれど,どうしよう.まあいったん底は考えないことにして,何なら興味のある人を探すために少しづつ寮内外の知り合いを増やしていくという事を打算してもいいのかもしれない.特にクラブクマノについてはやっぱりかかわっておいた方がいい気はしているのであづさんを見つけたら話しかけることにしよう.いやline知らなかったっけ.あれはbotみたいになっているけれどあそこから連絡が取れるのか疑問でもあるなあ.まあいいや.めんどくさいことだけれどどうにかやろう.そんで今抱えていることは,小説を書くことと,VJのことと,あとなんかあったっけ.おそらくそれだけか.WebGLのことをしこしこやっているけれど,それはいつでも中断しても構わない類のもので,シェーダーを書きたい気分になっていたがそれはまた遠い未来に始めることにしてもいい.それにTouchの中でちょこちょこといじるくらいのことだったら現状でもできるとは思うので,その範囲でやってみたらいいと思うけれど.あんまり真面目にやりすぎるのもよくないけれど,真面目に継続しているとヒットポイントが回復してくることも事実なので,webglのことを学習することも継続で行こう.あとはそうだな.毎週VJのことを作るという事もしんどかったりはするので,其れのスケジュールをどんなふうに決めるのかという事でもあるなあ.何かしらテーマを決めて置いて,それに向けて作り始めるという事でも悪くはあるまい.それこそプリレンダー縛りを一回やりたいと思っていたところでもあるし,明日はそれをやることにして,準備少な目でやってみてもいいかもしれない.プリレンダーでVJをやるときにはおそらく,素材集めと練習が必要だとは思ったりするがどうなんだろう.今日はプリレンダーでのVJを適当に練習しながら進めてみようか.ネオでのVJの一番の難点は,プロジェクターの設定上,お店のパソコンでVJしないといけないという事にあるようには思われる.それが一番だるくて,手元で練習したことが現場に行って違うインターフェースから始めないといけないことになってしまうのでどうしたものか.NDIで手元から送ったらいいよという事もあるんだけれど,それも最近はなぜか上手くいっていないしどうしたらいいのかそれなりに模索中な状態ではある.多分どうにかなるとは思うけれど.あとはなんだったっけ.まあどうでもいいか.適当にタイピングしていたらあと1時間くらいで出発の時間になっている.案外昼に集合するという事も悪くはないのかもしれないと思ったりはするんだけれど.それで何だったっけ.二月の予定はスノボに行くことと,例の一軒家に行くことと,イアマスの卒展に行くかどうかというところか.行くとしたら三好さんに車を借りていくことになると思うんだけれど,一緒に行きたい人がいたらその人を連れていくのでもいいかなとは思う.そうなるとさすがにした道で行くわけにもいかないので高速に乗ることになるだろうな.高速代くらいは出してもらいたい気分だけれど,どうなんだろう.誘ったら三好さんも来るだろうか.もしくは江田ちゃんも来るかもしれない.いやさすがに来ないか.デジタルアートはそれだけを消費するには少し賞もないし,もともと技術に対して興味のある人とか中の人とコミュニケーションをとりたい人くらいしか興味ないよなあ.誰か進学を考えている人がいたら話は別だけれど,そんな人がいるとも思えないし.あとはTwitterとかでゆる募するくらいだけれど,自分のTwitterはアテンションがほとんどないので誰に届いているのかもわからないものだ.作例をほとんど載せていないというか,最近は作品も特に作っていないのを思い出した.作品を作らないといけないとは思わないけれど,作品を作らないでも健康に過ごせるという状態を大事にしたいとは思う.そうだな.頭の中が文章の方に偏っているのは確かなので,この間には文章をインプットとアウトプットしている状態が健康的なんだろう.また映像とかモノの形でアウトプットしたくなる時は来ると思うので,その時まで待つ.もしくはWebGLを触っていることで映像をアウトプットしたいという感じが抜け落ちている可能性もなくはないかな.WebGLを触っていること自体はアウトプットを増やすという事が目的であるというよりも,自分の中でレンダリングとかの理解を深めるためにやっている側面が強いので,どちらかというと知的好奇心のためにやっている.作るという欲求が小説の方で満たされているので,今はそんなに気にすることでもないとは思うけれどわかんないなあ.まあ今日の自分が健康ならそれでいいでしょうよ.それで今週の予定は,明日から井上先生の講義がまた始まるのでそれを適当に受ける.精神分析のテストは受けなくてもいいんじゃないかと思っているのでさぼることにしよう.明日の夕方にはネオで集まって何かをして,何か今後のことを話したりするんだろうか.あんまり自分から動かしても動かない人たちなので,何かを振られたらそれに対応するくらいの感じでいたらいいと思う.あの人たちを動かそうとしても自分の無力感を強化するだけなので,できるだけ自分にボールを持たせないようにしておきたいとは思う.レスポンスの速さというか自分の意図に応答してくれるスピードがそれなりにないと,進むものも進まないだろうし,それはそれでいいんだと思う.あんまりややこしい考えが浮かんでこない今日だな.毎朝ヨーグルトを摂取すすると睡眠がよくなったことを実感している.その分毒気みたいなものがなくなってきた気がするけれど,それはそれでいいんだろう.もしかしたらあんな風に不機嫌な状態の方が求められていたかもしれないけれど,そんなことは気にしない.僕が健康に何かを作り続けられたらそれが一番いいことであるし,何なら誰かに見つけられると健康を害する気もするのでそうならないこと求めている側面すらもある.大衆に見つけられないようにして作り続けること,そんなことを思いながら朝の陽ざしを浴びていた.そうそう,こんなことを思ったのは,昨日眠る前にTwitterでどこかのバイオ系の博士課程卒業者の人のアカウントを覗いていたら,そのアカウントにいちゃもんを付けた市民みたいな人をさらしていたからだったように思う.どうもあの感じが鼻について,結局反論せずに教養で殴って黙らせるみたいな構図だったような気がする.そもそも大学院批判はなされて当然のモノであるとは思っているんだけれど,中の人間はそれが勤勉さの証明くらいにしか認識していないので何とも.その一般人側のアカウントの人の言っていることは,言葉遣いはあほっぽかったけれどそれでも言っていることは一つの審理ではあった.大学院というものはお金と時間に余裕のある人間が,上流階級に行くための資格を取っている場所であるという指摘は間違いない.資格として機能しているのかは別としても,それでも社会的に差異化するためのシステム出会って,その間はほとんど無産で自分の興味を追いかけているのは事実だ.結果としてその多産多死の後に社会にとって役立つものが発生していることもまた事実なんだけれど,普通にそこに行くための時間とお金を持っていない人から見たら特権的な振る舞いに思えるのは事実である.それをどうにかするためにこそ,誰もが大学院に行ける社会にするべきだとは思うんだけれど,どうやらそうはならないらしい.まあこのことはまたいつか書くことにしよう.

無題

今日は日曜日.しばらく機嫌がよかったのでタイピングをせずに小説を書いていたんだけれど,今日は少し気分が落ち込んでいるというか欲求が欠けてきたようなのでタイピングをして気分を落ち着けることにしよう.休みの日はある意味で危機的な状態ではあって,放っておくと休みの日の昼間になにか作らないといけないという考えに染まってしまう.そうなると夕方にまどろんでいることや,映画を2本連続で見ることとか,本を読んでいる時間に僕のヒットポイントが減少していくという意味不明な状態になってしまう.この観念は意識的に解消しておかないとあとあとダメージが蓄積されたときに面倒なことになってしまう.そうだな,解消するとしたらどんな風にやったらいいんだろう.だいたいこういう時には,時間を区切ることで解決しようとする.グァバジュースを飲もう.例えば,休日にも平日と同じスケジュールを導入して,19時までは作らないというルールを設けるとかになってくるんだろうか.時間を指定することは悪くないんだけれど,大体いつもなし崩しになって昼間の時間にも作業を始めてしまうのが落ちではある.体は時間をあんまり認識していないので,作らないといけないというプレッシャーを時間の認識で解消することは難しい.それならば,できるだけ外で過ごすことで解決できるのではないかという事は確かに言えている.いつも自分の部屋のこたつに座ってタイピングすることで作業をしているので,それとおんなじ場所にいると作業をするというイメージがどうしようもなく浮かんでしまう.それならば,見える景色を変えることでくつろげる空間に移動することも悪くはないとは思う.しかしながら,仕事をするスペースを自分の部屋にしたときに,部屋以外にくつろげるスペースを作ろうとするのもおかしな話だ.普通ならば部屋をくつろげるスペースにしておいて,外側に仕事をするスペースを設けると思うんだけれど.まあ,現状もっともポテンシャルの低いところで作業をするという事が,タイピングを継続できていることとかいくつかのいいことを生み出しているので,それは変えないでおこうと思う.あとはこたつという場所が,いくつもの作業がくっついているのもそうだし,食事をする場所としても使用されているのをどうしようかなと思ったりもする.こたつに入るという動作の後に複数の選択肢が存在しているので,その間で混乱しているような気がする.それは大体,パソコンを開くか,本を手に取るか,スマホを開くかくらいの形で分岐している.大洋の部屋に行って何かしらの作業をすることも悪くはないのかもしれない.あとは昔みたいに食堂に行って作業をするとかか.あんまりまとまった考えに至っていないなあ.いま手元にある材料から想像は勝手に膨らむんだけれど,それを現実に落とし込むだけの体力がない.それはもともと不可能だったのかもしれないけれど.それでも禁止されているという観念を持っていない.だからこそつらいという事もある.誰かがそれを禁止してくれたら,やらなくていい理由が見つかって楽になるのにとは思っている.博士課程というのは禁止されていることがほとんどないという事もしんどさの一つなのかもしれない.そんなこともないか.報酬を受給することが禁止されていることはそれなりにしんどかったし,いや実際に解禁されて報酬が能力的に得られないという状態になった時にはもっとしんどいのかもしれない.できるだけ不可能という形ではなくて,禁止されている状態であると認識したほうが僕たちの頭は楽に働くとは思う.そのためにも信仰とか神の概念があった方が楽なんだろうなとは思うけれど,まだ見つからないなあ.副業の禁止はある意味でその方が楽だったんだろうな.副業が不可能であるという事にぶつかることよりも,副業が禁止であると宣言されている方が楽だ.自由恋愛が不可能であるという事にぶつかることよりも,自由恋愛が禁止されている方が楽だ.それは何というか,弁証法に至らないという点であると思ったりはする.恋愛をしたいという欲求と恋愛を禁止されているという言説の間での矛盾は,頭の中でいくらでもこねることができて,それは恋愛をしたいという観念も恋愛を禁止する制度の方も問いに伏すことで新しいものが生まれる可能性でもある.しかしながら,恋愛をしたという欲求と恋愛をする能力がないという状態は矛盾なんだけれど実りが少ないというか.あんまり頭の中でこねることができないと思うんだけれど.もちろんそこから弁証法を行う事もできないことではないと思うんだけれど,それはどうなんだろうか.この二つのことは直接矛盾しているわけではないのではないかという事を思ったりもする.禁止との間だと言説が明確に衝突している感じがするんだけれど,不可能との間だといなされているようなイメージを持ってしまう.手ごたえがない.不可能であるという事実を観念でもってこねくり回すことはあんまりできない.結局欲求の方を否定するか,自分の能力を向上させるように動くことしかできないような気がしている.そしてやっぱりその不可能性を突き付けられた時には,想像の中で自分が上手くいくという事を考えることが難しいような気がするんだけれどどうなんだろうか.あんまりしっくりくる議論ではないなあ.もう少し他の事々を眺めてみて,まとまってきたらまた書くことにしよう.タイピングの速度は少しだけ遅くなっているように思うのは,たぶん小説を書いているときの影響でそれなりに反省しながら書いているという事もあるんだろう.というという言葉を使わない方がいいみたいな話を聞いて,それを反省する機能がついてしまったりとなんだかんだ厄介なものだ.もう少し速度重視でずっとタイピングし続けるようにした方がいいとは思っているんだけれど.書くことが浮かぶまでに時間的な遅れが存在している.それだけでなくタイピングの正確性も著しく落ちている.まあそれはそれでいいや.時間はいくらでもあるので,書き続けていたらどうとでもなる.今日は15時からワークショップがあるんだけれど,これがある日はいつも微妙に気分が盛り上がらないので困ってしまう.日曜日に予定が入るという事自体はそんなにいやなことではないんだけれど,それでもなんというかYoutubeライブ配信を3時間見るという事が結構しんどい.ああ,わかった.このしんどさは研究会で興味のない発表を聞いているときのしんどさだ.自分の研究に対して直接寄与しないであろう発表を聞いているときにはそれなりにしんどくなる.それはその時間を無駄にしているという感じがあってのことだ.たとえ内職をしたところでその後ろめたさは消えなくって,むしろ報告を聞くことに頭を追加で使うためにあんまり内職が進まないことにフラストレーションを感じてしんどくなってしまう.自分のタイミングで見れたらいいのにとは思っているんだけれど,それもどうしたものか.そうだな,あとはワークショップを見ていると変な緊張感を感じてしまう事も一因ではある.研究会の時もそうなんだけれど,あの空気自体がしんどいものではある.そんなところか.あのしんどさはまだよくわかっていない.どうせこちらの情報を何か送っているわけではないので,もっと気楽に過ごすこともできるとは思うんだけれど,どうにもそうはいかないみたいだ.まあ,それでも我慢して3時間を過ごせばそれなりに得るものもあったりはするんだけれど,どうなんだろう.それでもやっぱり終了したときの18時の気分はあんまりよくなくって,既に暗くなっている街に夜の食事を買いに行くときの暗い気分をどうしたらいいんだろうか.完全に1方向になっていて情報を受け取るだけになっているという事もしんどさの一因ではあるなあ.まああんまり知らない.Youtube Liveは確か一時停止ができたはずなのでそれを適宜使用しながら見ていったらいいのかもしれない.どうしてもしんどいのは,2倍速で再生できないために自分が既に知っている内容をたくさん仕入れないといけなくなることではあって,そのために結構だるい思いをしていることかなあ.まあそんなのはどうでもいいんだけれど.久しぶりにタイピングしているのであんまりネタが思いつかなくなってきているな.月曜日の昼にサンと森林食堂に行くけれど,約束を取り付けるまでは結構楽しかったんだけれど,いざそれが近づいてくると結構だるい気持ちにはなってしまう.サンに対して何らかの可能性があるとは思えないし,何なら献身に近い行為を取ろうとしていることを観察していると,どうしたものかなと思ったりはする.まあ,それはそれでいいのかもしれないけれど.女性の方から求められることというのは少ないので,つねに自分から誘わないといけないのはわかっているんだけれど,それもまたしんどくはある.求められないことがしんどいというわけではなくって,方向性を決めるのに自分の裁量がありすぎることにもやもやしているんだけれど.どうしても自然発生するものではなくって,こちらから制御していかないといけないことに対してちょっと不自由を感じてしまう.それは何というか,男性と女性の身体の違いからくるものかもしれないけれど,そういった役割を担うのもどっかで終わりにしたいと思ったりするが,それでもまだ続けてしまうんだろうな.自分一人がそれをやめたところで大した変化はないだろうし,自分が苦しむだけではあるなあ.まあ,よくわからないけれど.あの子も誘ったけれど,ゼミの発表とテスト勉強で忙しいので再来週以降ならいいとのことだった.その時はあんまり会議する気持ちはわかなかったけれど,それは単なる否定ではなくっていつ以降ならいいよという返答だったからだろうな.いやはや今日はタイピングをするメルのも結構しんどい.小説を書くことは悪いことではないけれど,それでタイピングができなくなることの方がちょっと怖いものだ.朝一のタイピングは復活させることにして小説はそれ以降,もしくは夜の時間に取り組むことにしよう.鶴田にはわるいが,今はまだ人に見せる段階ではないと思うし,それでいい2作目から鶴田には見せることにして,今は実験的にいろいろ書いてみることに執着することにしたらいいと思ったりはする.まあどうでもいいといえばいいんだけれど.この後何をするかを未だに決めあぐねていて,カルディにでも行って調味料とかレトルトの食品を購入してみようか.ホホホ座にでも行って本を眺めてみようか.幸いにも今日は暖かいようなので,久しぶりに自転車でどこかに出かけてみることも悪くはない.それなら浄土寺のあたりに自転車で出かけてその周辺を散歩してみるという事にしようかな.あとはできるだけだらだらする時間を大切にしながら過ごせたらいいと思うんだけれど.今日の自分にあまり多くを進めることを期待しないようにはしよう.こんな風に新しいことを始めたいと思っているときには,むしろこれまでやってきて継続することができることを続けることに専念したほうがいい.それも極端なペースで始めるのではなくて,少しだけ前に押すくらいの感じで認識しておいた方がいい.幸いにも今は明確な締め切りが存在していないので,そのことを何度も思い出すべきだ.今は何もしなくても大丈夫だ.締め切りが来たらその時に問題は解決できる.問題がはっきりとしない現状ではだらだらと過ごすことが一番の解決策であって,それ以上焦ったところでむしろマイナスの効果しか得られない.くらいのことを自分に説得し続けていたらまあどうにかなるんだろう.あとは太陽の光を浴びることと,ヨーグルトを食べること,良い睡眠をとることだけを考えていたらいい.今日は久しぶりに銭湯に出かけて,少し乱れかけている睡眠のリズムを整えられたらいいと思う.また烏丸河原町の先頭でサウナを楽しんでも悪くないかもしれない.こういう時に誘うのが大洋ばっかりになってしまうので,他にも依存先を作っておかないといけないよなとは思ったりもする.誰かいるかというと怪しいものだ.同い年の友人というものがどんどん作れなくなっていると思うんだけれど,これは単純に数の問題であるのかはわからない.時間がたって同じ年齢の人々と一緒に活動することが多くなった時には,どんな風にふるまっているのかがわからない.

聖なるズーを読んだ

前の前の晩にはあんまり眠れなかったのに,昨晩は12時に床について10時まで寝ていた.そんなに不自然に二度寝していたわけではないので悪くないとは思う.睡眠の質を計測する何かを買って,そのデータを目的関数にしてみてもいいような気はする.今目的関数があるとしたら,お金がどれだけ集まっているかくらいのモノで,後の研究とか映像のことについてはあんまり数値で評価するという事は行っていない.それはそれでいいんだろうけれど.評価しようとするようになったら,大体勤務時間を計測し始めて,それを守るためにコアタイムを設定して,朝起きれなくなるごとに気分が悪くなってはさらに眠れなくなって朝起きれなくなることを繰り返していずれ死ぬことが分かっているのでそうしない.あとはこのブログの閲覧数も微妙に目的関数にはなっていて,それを毎日確認している.毎日確認している数値というものをどんなふうに設計するかで,どんな生活を送るのかという事は変わってきそうだなという事は思う.計測できるものは最適化できるというプログラマの美学があったような気がするけれど,本当にそう思う.お金について計測をやめるという事をやってみてもいいとは思うけれど,それでいいのかはわからない.ただ,郵貯の口座残高を眺めて置いて,そうだな,証券会社の方については連携を切ってしまってみないことにしてしまったらいいのかもしれない.そうしておいたら,後はほとんどその金額で同やり取りをしていくかという問題になるので気にしなくてよくなるのではないか.どうせ,金額の上下なんてチェックしてもチェックしなくても変わるものではないし,ビットコインについても無視して価格が暴落したときに見るくらいでいいとは思う.それでもその数値を確認してしまうという事がなんであるかといわれると僕にはわからない.タレブは口座残高を定期的に連絡させることで精神衛生上でポジティブな効果があると言っていたけれど,それは口座残高が増えていくことを見る時の話で,僕の場合にはそんなに増えていっているわけでもないのであんまりだなあ.増えていってはいるんだけれど,月に1度くらいしか入金がされないので,毎日チェックするようなことをしている分には変化が無くてもやもやしてしまうものだ.それでいて,後はなんだろうか.目的関数をどのように設定するかの話だったなあ.研究とか作品についての目的関数をどんなふうにしようかと思ったりもするんだけれど,やっぱりそれは作らない方がいいような気がしているなあ.毎日触るという事に集中したらそれでいいと思う.作品については特にそうだ.研究については未だにどんなふうにして進めたらいいのかがよくわかっていないので,まだしばらくは温存しておこう.今は自分がよく眠れていたらいいし,そういえばこんな風に毎朝タイピングをできているという事自体が目的変数なのかもしれない.毎日何かをするという事も一応目的変数として機能していて,そして,平日は毎日研究室にいくであるとか,夜には作品についての活動をするとか,毎日本を読むとかそんなことを確認しながら進めていったらそんな感じでいいと思っているかな.そうだな.自分であらかじめ決めている動作を行うという事が,自分のやっていることがそれなりに悪くないという事を自覚させてくれるので,それはありがたいと思う.目的変数をできるだけ減らして,後は日々の好意の中で安定化させることにするだけなんだろう.何かしら目指すところがあるときには,それを達成するために必要な目的変数の設定だけに集中したらいいんだけれど,そういった目的が存在していない以上には,それよりも日々の活動のスタイルを通して,そのスタイルが連れて行ってくれるところに進むことの方が悪くないのだとは思う.少しだけ足りていないかなと思っているのは,作品を見て刺激を受け取ることと人とのつながりを増やすことではあると思っているので,それについては少しだけ探索のことを目的というか習慣の中に含めるべきであると思ったりはするなあ.それは多分休日の過ごし方をどうするかという事を変更することの話であって,アーティストデートみたいなしょうもない概念を導入したほうがいいのかもしれない.休日には必ずどこか行ったことのないところに行く,みたいな習慣をつけていったら,しばらくしたらそれなりに多くのことを経験できそうではある.また,休日に作品を作りすぎないという事についても大事にしたい.作ることの大部分は平日にやることにしておいて,休日は探索のために使うべきだと思う.そうそう,休日に外に出かけることを妨げているのは,作ることに時間を使わないといけないという観念と,お金を使わないようにしようという観念なので,それをある程度解消しておかないといけないよな.今はちょうど作らないといけないというプレッシャーもほどほどに少ないので,この間に外部へと出かける時間を増やしていこうかなとは思っているかな.あとはなんだろうか.今週は髪でも切りに行こうかな.休日に使う事の出来る金銭の額をあんまり把握していないという事も一因ではあって,できるだけ使わないことの方が望ましいという観念の中から出られていないという事も問題ではある.予算を決めて置いてそれを使い切るというくらいにしておいた方がいいとは思ったりもしているんだけれど,昔そんな風に設定しておいたら結局使い切ることができずじまいだったなあという事を思ったりもした.そんな風に過ごしていたことを思い出すけれど,それがどうなるかはわからないかな.そしてあとはなんだったっけ.まあどうでもいいことばかりだな.特に考えることもなかった.目的関数というのはいつも自分のその時の幸福とはほとんど関係がないのに,それにもかかわらず一度設定してしまうとそれに対して一喜一憂してしまうのが厄介だという事を,今朝見た夢の中で出身高校の壇上でしゃべっていた.GDPとか会社の売り上げとか平均寿命であるとか,オリンピックのメダル数であるとか,宇宙開発の到達距離であるとか,まったく自分たちの幸福に対して影響がないようなことをあんな風に熱狂的に祝う事ができるという事について,それ自体何でなのだろうという事を思ったりもするんだけれど.明らかに合理的ではない観念を多くの人が共有しているという事の中に何かしらのおかしさを感じざるを得ない.メディアの存在だとか教育の結果によってこんな風に自分たちの組織の勝利を歓迎するようになっているのか,遺伝的にそうなっているのかどうかわからない.後者の要素もだいぶありそうな気はするけれど,まあそれはわからないよな.あんまり書くことが無いのは,向かいに座っているコードーさんが工学部の助教とウェブ会議をしながら相談している会話が自分の頭の中に入ってきているからだろう.外は雪が降っていて,トイレでコードーさんにあった時に話したら,邪魔ですねという返しをもらった.確かに邪魔だけれどそれでもまあ景色が変わるので悪くない.今日は久しぶりに鴨川の土手を通って大学へ向かおうと思った.あんまり書くことが浮かばない日だなあ.聖なるズーを借りて,昨日から3分の1くらいは呼んでいた.まあまあ面白い.獣姦を具体的にイメージさせるような記述については少し心理的な抵抗だったり欲求だったりを感じてしまうのだけれど,動物性愛者の説明についてはそんなに抵抗なく読むことができる.フロイトが幼児の性的嗜好は多型倒錯だという事を述べていたことを僕も信奉しているので,幼少期から動物に対して性的欲求を覚えるという事が発生することも無理はないと思う.ただ,その当事者の語りを聞いている限りでは僕は動物性愛者ではないのだろうなという事を思うくらいのことでしかないなあ.まあ,内容がセンセーショナルな分,語りは平明で読みやすい.プロローグにあったようにすさまじい性的虐待を受けていた著者は性的に「ノーマル」な価値観を持っているはずがないのに,語りのところどころで「ノーマル」な感想を述べてくれるのはおそらくルポライター的な書き方なんだろう.私たちの感じるべき抵抗を前もって言葉にしておいてくれているという事が,読みやすさの一因なんだろうなという事も思ったりもした.逆に言えば,その語り口を採用してしまうと私たちの感じている抵抗が著者の想定している「ノーマル」さに回収されてしまうということにもなっているとは思っているんだけれど.それで何を思ったんだっけ.そうそう,簡単に思ったのは,動物性愛者という概念が日本でも広がっていく可能性がなくはないようだという事だったなあ.この本を手に取って自分の性的嗜好を再発見する人はそれなりにいるだろうし,そういった人々の1割くらいが実際に行動を移すこともありうる.それに多くの人々が結婚しないようになっているので,生まれつきの動物性愛者でなくとも選択肢の一つとしてとりうるものにあと50年くらいたったら変化しているのかもしれない.選択肢としては不可能という事はもともとなかったんだろうな.そしてそうであるからには既に日本でも存在しているんではなかろうかという事は思う.ふむ.本の冒頭あたりに書いてあった日本の中の性的対象としてのみ動物を利用していると解釈されていた人々も,それはネット上のコミュニティの中での言説が性的な次元で満たされていたからそうなっていただけで,動物性愛者的なコミュニティが存在していてそこに関与していくことで同じようなきれいな言葉を使い始めるのかもしれない.それがいいことか悪いことであるかはちょっと判断できないけれど,それは同時にその両者が大きく隔たっているわけではないのではないかという事を思っているわけで.まあ性的な関係を持っている以上はどれだけ嗜虐的な態度をとっていようともそこに性愛が存在していると僕は思っている.それは経験不足の故かもしれないけれど,恋愛とは別の意味で性愛は存在していてそれは単なる快楽には終わらないような気がしている.性愛としてのサディズムが働いているところからマゾヒズムに変化すると動物性愛者になる?そんな簡単な図式ではもちろんないのだろうし,動物性愛者はそれに同意しないだろうけれど何となくそんな気がしたりもする.DVをする人間が本を読んだりコミュニティに触れたら性的に落ち着くのであるかといわれたら僕にはわからない.それはまあ,その道の研究が存在しているだろうからそこの知見を探る必要があるなあ.サディズムマゾヒズムのことについてももう少し調べたいトピックではあると思うんだけれど,どこを調べたら出てくるんだろう.こういったセクシャリティに関する言葉って,言葉を知っていたとしても欲しい情報にたどり着くことがめちゃくちゃ大変なので困る.それなりに真摯に研究をしている人たちが存在していることも事実で張るので,そこら辺のつてからスタートしてみたらいいのかもしれないと思ったりもした.あの子に聞いてみたらいいのかもしれないと思ったけれどよくわからない.セクシャリティのことについて男性は大体謎を感じずに自分でコントロールできていると思えるんだけれど,女性はそこに深遠な謎を見つけるようで,僕の観測している範囲ではやっぱりそういった謎のことを考えて,いろいろなことを試し始めるものだと思たったりはする.もちろんそうではない「ノーマル」な女の子がたくさんいることも事実ではあるのだけれど.何が言いたかったんだったっけ.特に何が言いたいわけでもなかった気がする.そうそう,セクシャリティのことについて,聖なるズーを読み終わった後には適当に調べることにしようかしら.それでもやっぱりそういった研究の都合上,個人の経験について複数の事例をもとになにかを書くという当事者研究的なものになっているんだろうな.これはこれで悪くはないんだけれど,やっぱり何らかの理論を僕の口は求めている.当事者の語りはあくまで実験結果の一つにすぎなくって,欲しいのは教科書的な理論の空間なんだけれどそれを見つけることは少ない.おそらく研究コミュニティも意図的にそういった理論を作らないようにして,「ノーマル」が絶ち現れないようにしているというところもあるんだろうな.結局その理論は自分で作らないといけないようだ.

文芸批評のネットメディアを作りたくなってきた

昨日の夜からあんまり眠れなかったのは,コーヒーを3杯飲んで,さらには紅茶も一杯飲んだためであって,何の不思議もない.せめて今日はコーヒーをあんまり飲まないようにしたいとは思っているけれど,それでも朝研究室についたら飲まずにはいられないんだろうな.まあ,睡眠不足で活動する分,夜には眠くなるだろうからそんなに気にする必要もないかもしれないけれど.眠れない日にはいろいろと考えが浮かんでは消えていって,その中で研究に対するやる気が起きたり,臨床心理士の資格を取りたいと思ったり,女性用風俗で働くことを考えたり,サークルの新歓のことを考えたりしていた.ほかにもいくつかのことを考えていた気がするけれどほとんど忘れてしまった.少しだけ躁に近い状態にあるのかもしれない.寝不足はバランスを崩すことにつながるのはいつもそうだ.やっぱり今日はタイピングがそれなりに早くって,自分を顧みる自分というのがあんまり働いていないので,自由に体が動くことが分かる.頭はそれなりに重く,視界も不鮮明な感じはあるのでそんなにこの状態が続くわけでもないと思うんだけれど.今日の目標は睡眠の質を上げることにしよう.やっぱりコーヒーは1杯しか飲まないことにする.その代わりに眠い時には昼寝をすることにしておこう.自分の動きが早くなったように知覚される分,時が進むのが遅いような気がする.タイピングしている文字の量も普段より全然増えていかなくって,まだ600文字しか売っていないことに少し驚いている.いつもなら1000文字くらい書いたかなと思えるような感じなのに,実際にはそんなに書いていない.それはそれでいいんだけれど.多分普段だったら昨日考えたことを掘り返して,もう一度記述することに3000文字くらい使っているだろうから,それが起こっていないという事なんだろうな.考えの持続時間が短くなっていて,新しい考えにポンポンと切り替えていくのはまるでADHDの思考のようだ.スペースキーをうつ親指にマーガリンがついていたのだろうか.少しぬるぬるするようになったことが気持ち悪い.やっぱりタイピングの速度はそんなに早くなくって,増えていかない文字数に対してフラストレーションを感じている.やっぱり昨日考えていたことを掘り返そう.臨床心理士のことを考えたのは,ちょうどラカンと政治的なものを読んでいた時のことだった.そうそう,最初のラカンの来歴についての説明のところで(ラカンの来歴をきちんと読むのはこれが初めてだった!),ラカンアンドレ・ブルトンらのシュール・レアリスムの運動にかかわっていたという事を知った時になにかを思ったんだった.それはちょうど,昨日の昼間に読んでいた岡潔だったり寺田寅彦といった面々が,夏目漱石と懇意だったこととか詩や俳諧に興じていたことなんかとつながって,結局学問と芸術の実践の間を取り持つという事ではないかと思うようになったんだった.そうそう,自分はあくまでも学問を通してお金を得ることにしているけれど,それでも芸術の人々と協力することができるという事,さらにはその関係性自体が自分の書物が読まれるようにすることであるし,さらには自分に対して書くことができる範囲が広がっていくことでもあると思うようになったことだったように思う.大学の中にいて外部の実践にかかわるという事について,少しだけ興味があるなあ.現代にいてシュール・レアリスムのような実践活動がどこかに存在するのかは今はまだわからないが,それでも同じような戦略を通して,自分の書いたものを権威付けしていく方法は存在するのではないかという事を思ったりするのだ.ラカンがただの異端で終わらなかったことのうちには,芸術家との関係性が存在したことにあるように思えてならない.異端は普通読まれることなく糾弾されるべきものだけれど,それでも専門家集団の外部に読者を持っていたらそんなことはあるまい.そして外部がそれなりに興味を持ってくれさえいたら,それに引きつられて内部の専門家も読むようになるだろう.評価されるという事はそういう事なのではないかと思ったりもする.ショーペンハウエルが当時の書物を貶めて,自分の仕事はその時代には評価されることが無いけれどちょうど打ち上げた気球のように時間の経過と共に発見されるだろうという記述が会って,そのこと自体はとても希望を持たせるような内容なのだけれど,それでもやっぱりそれは内容が良ければそれで打ちあがっていくという単純なものでもないのではないかと思ったものだ.いや,確かに内容がしっかりとしていて,数世紀後の人々が読むに値するものを書いていたら確かに後世の評価を得られるのだろうか.いやそんなことは無いと思っていて,少なくとも現代の誰か一人からの絶大な評価くらいは持っていないと,最初に読み始める人が存在しなくなってしまうだろうな.そうだな.最初に読み始める人を見つけることが一番大事であって,そのために権威付けを行ったりするのだろうとは思う.その点で,自分学の書物のシステムはそういった構造がはっきりと出ている.難解にならざるを得ないので,それを最初に読み始めるのは研究分野が似通っ同党の階層の人たちだとは思うんだけれど,彼らから認められさえすればその後に広がっていくのだろうか.いやそんなことはないなあ.そうはいっても大衆的に読み継がれるものである限りは,専門家集団の外部との関係の中で作られるものでないといけないはずだとは思うけれど.今何を思っていたんだっけ.専門家集団からの批評を回避することが重要なのだろうか.ああ,訳が分からなくなってきて自分が寝不足であることが強く感じられている.たまにはそういう状態で書いてみるのもいい.ほら,着地点を見失って書くことなんていつぶりだろうか.この感じも楽しいものだ.それでどこに落とそうかとしていたかというと,臨床心理士をとることで芸術家とつながれるんではないかという事とか,専門外の書物をかけるような権威付けができるんではないかと思ったことにあるんだったっけな.まあ,いくつかの飛躍があることは許してもらう事にしても,それでも結構面白そうだと思う.一番面白いと思うのは,理系の博士後期課程卒業の横に臨床心理士という文字が来歴のところに並ぶことを想像したときにそれを強く思う.臨床心理士の年収とか待遇を調べたけれど結構ひどいもので,わざわざ修士課程を卒業してつくような仕事ではないという事は明らかだった.それでもなりてが多く存在するのは,昔から注目している学問と免許によって縛り付けられる特性のことと,それでいて取り扱っている事柄ゆえに著作を持つという事が可能でありそうな感じがすることにあるんだろうなといいう事は思う.それになんだっけ,生涯学習と臨床心理境界みたいなところがのたまっているように,向上心を搾取する構造みたいなものがうっすらと感じられてそれはそれで面白い.大体生涯学習なんて,セミナーの講師とか学会の運営者がお金と権威付けがもらえてうれしいだけのような気がするけどどうなんだろうか.まあ,デヴィッド・グレーバーが言っていたように,エッセンシャルワーカーに対するホワイトカラー嫉妬が,その待遇に現れているのかもしれないけれど.価値のある仕事をしているという事hはその仕事を選択する理由の一つにもなるわけで,しかしながら多くの人がそれをやりたいと求める仕事はたいていの場合ひどい待遇に陥ってしまう.この矛盾については十分言葉にされているようでそうではないよなと思ってしまうんだけれど.経済一般のことを考えるとたやすく理解されるように思えて,自分のことになるとあんまり理解できないものだ.みんなが望む仕事で会っても,そこに参入障壁があるとそれなりに待遇もよくなるんだけれど,それでもその参入障壁が資格とかだったりすると結局時間の経過とともに線形に増える資格保持者によってどんどんレッドオーシャンになってしまうなあ.そもそも注目されていない分野でないといけないとは思っていて,かつてのデータサイエンティストとかだったりするんだろう.今僕の手元に残っているのはVJくらいしかないんだけれど,そのお仕事がもっと盛り上がるかどうかはまだわからない.VR関係の興隆もあるにはあるし,それなりにすそ野が広がりそうな感じもしているけれどそれがどうなるかは見通せないところではあるなあ.それでも面白いからやっていこうとは思っているし,何かを語ることができる範囲でなら語ってもいいとは思う.しかしながら,僕には芸術の批評ができるような頭の良さは無いことはそれなりにわかっているので,一人の実践者として粛々と取り組むことになるんだろうか.まあ,大学に非常勤とかで職を得ている人たちを見ていても,作品の批評を行っているというよりも作品の作り方を伝導しているという側面の方が強いようには思えていて,その批評文化自体がまだ育っていないという事についてはチャンスではあるのかもしれない.オーディオリアクティブなものについての批評をそれなりに行うという事をやってみたいとは思うんだけれど,そのためにはああいった活動のアーカイブに関してもっと整理する必要が存在するよなという事は思ったりもする.アクセス可能性が低いからこそ,ブルーオーシャンとして活動できるのではないかという向きもあるにはあるけれど,それはちょっとわからないなあ.芸術批評のことを思うと久しぶりに高階修二の本を読みたくなってきたけれど,それは今借りている科学についての本を一通り読み終わった後にすることにしよう.芸術論についてしこしこと摂取したいなとはここ最近ずっと思っていて,ラカンが想像と狂気について語ったことをまとめた本も読みたいし,後はなんだろうな.あの子に芸術の批評というものがどうやって行われているのかについて聞いてみようか.そういえばあの子は芸術系のゼミに入っていると言っていたような気がするけれど,どうなんだろうか.クラブカルチャーの批評がどんなふうにして動いているのかも正直分からない.Wiredなんかの雑誌がスタイリッシュな感じの文章でまとめているような気がする.この前読んだブラックナードというカルチャーが既存のナード性を乗り越えていっているというような言説があったけれど,あれは何というネットメディアだっただろうか.結構面白そうだったので,この後もう一度見つけてほじくり返してみようとは思ったりする.芸術の批評家という存在がそもそも必要であるのかどうかはまだ疑問符がついたりもするけれど,それでも研究者が存在している限りでは僕にも選択肢が残されていないこともあるまい.正統な出自では全くないけれど,だからこそ適当に書くことができるという向きもあるわけで,そうなってくると分析美学とかもかじってみた方がいいんだろうか.芸術批評は分析哲学にあたるんだろうか.あんまり分析哲学が好きでないのはやっぱりこの環境ゆえだとは思うけれど,それでもかじってみる分には面白いかもしれない.あんまりガチ勢と衝突したくないとは思ったりもするけれど,それでも悪くないだろう.適当に書いて適当に登校したい.そうそう,ドストエフスキーの来歴を見ていて,やっぱり雑誌に投稿するという行為はできるようになっておいた方がいいような気がしたりもしているなあ.となると少しだけマイナーな文芸雑誌をひろって読んでみたらいいんだろうか.アレという名前のジャンル不定のカルチャー詞なるものが大学生協においてあって,それが結構気になっているんだけれど.三好さんだとかあの子に聞いてみたら雑誌を作るという事に乗ってくれたりしないだろうか.それは別にネットメディアにしてしまえばコストもほとんどかからずに進められるとは思うんだけれど.マークダウンを静的に表示できるようなJekylのようなツールを使いやすい形で参加してもらって,その状態で適当に進めていったらいいだろうか.自分一人で管理するという事も悪くはないけれど,それはそれでめんどくさいなあ.コードーさんにも話してみたら面白そうだとは思ったりもする.シェアハウスからコワーキングペーストと来て,今度はネットメディアを作りたいと言い出したのは少し面白いものだ.

結婚と子育てをしないで済むようにすること

月曜日の朝は休みの日よりもしんどくない.少なくとも朝起きてその後にやることがそれなりに決まっていることはありがたいと思う.すべての日が休日だったらそれなりにしんどいだろうなと思うのはこういう事だ.ある程度の束縛が必要で,それでいてそのルールが厳しすぎるとそれはそれでしんどくなる.例えば研究室ではなくてコワーキングスペースに通う事にしたとしたら,その時にはしんどくなるのかというと正直分からないな.試してみたらいいとは思う.毎日顔を合わせる人というのが存在したほうがいいとは思っているけれど,それが上手く構築できるのかはわからない.自分が楽に仕事を進めるために,その場所を作るという事が一つの目標になっているというのは確かなことだ.そうだな,シェアハウスを作ろうと思っていたけれど,コワーキングスペースを作るという事も悪くはないのかもしれない.コワーキングスペースの自由な感じと,会社の規律の感じの間を調整してみるとかどうだろうか.実験に協力してくれる人がひつようだけれど,それをどこから集めるかになるなあ.例えば今の127号室くらいの部屋を一つ借りたとして,その料金はどれくらいだろうか場所によると思うけれど10万円くらいで行けるんだろうか.普通の一人暮らしの感覚で行ったらそれくらいで借りれないこともないとは思うんだけれど.で,それを借りてひたすら机を置いてコワーキングにする.屋号をつけなくてもいいしつけてもいい.そして5人集まったら月に2万円の支払いになるわけか.少し高いなとは思う.月1万円でフリーで使用できるのと比べたらどうなんだろう.まあ,それについては何らかの付加価値をつけることにして,おそらくは同業者が集まってきたらその関係で他にも集まってくるはずだろう.個人事業主だとかフリーランスとかとして働いている人たちの中で,既存のコワーキングでは回収できない需要があるはずで,其れの一番顕著なのはおそらくフリーアドレスによってモノを置いておけないことなんだろうな.ものを置きっぱなしん位しておけるという事は働いていくうえでやっぱり大事だとは思う.そのたびに片づけているようではあんまりおもしろいものは生まれないし,片づけなくていいコワーキングとして作り出すことも悪くない.それならば自分の家でやったらいいんじゃないかと思うけれど,それもあんまり乗り気ではないかなあ.そしてそういった需要がどこにあるのかといわれると疑問ではあったりするけれど,それでも自分が必要としている以上では存在していても悪くはないと思う.それに既存のコワーキングが月に1万円で営業できていることの方が不思議で,それだけで家賃を回収できるんだろうか.少しだけ調査してみる必要があると思うんだけれど,一か月くらいどこかのコワーキングで仕事をすることを通して何か調べてみようかな.あと需要があるとしたらどこらへんだろうか.文系の大学院生なんかって大学で作業をしているんだろうか.もしばしょがなくって 自分の家とか図書館で作業をしているんだったらその人たちを呼ぶという事もできないこともない.多分書籍がたくさん存在することになるだろうし.コワーキングというよりも会社だし,研究室として存在していると思った方がいいのかもしれない.名前は丸太町研究室とか?鴨川研究室とかだろうか.研究室だと鴨川を研究している風に受け取られるのでコワーキングという意味が外れてしまうなあ.ほかの場合にはどんな名前を付けているのかと思ったけれど,電通が作っているのは縁側だったっけ,後はなんだろうか.スペースとかそんな名前を付けていたら,コワーキングのイメージも出てくる.あとはWeWorkのように働くというイメージをつけるとかかな.スペースを使用するとスペース猫穴みたいになってしまう可能性もあるけれど,あれはあれで悪くないのかもしれない.コモンという言葉を使っても面白いかもしれない.スペース鴨川,コモン鴨川,もう少しひねりが欲しいとは思うけれど,スペース鴨川でも悪くないと思う気がしてきた.となると鴨川の近くに作らないといけないし,鴨川が眺められた方がうれしいような気がするなあ.鴨川に紐づけて作っていたら,何となくだけれどそのまま陽キャが集まってきそうな気がしてくるが,意外とそんなことはなく落ち着いた印象にもなるかもしれない.鴨川も緯度によって雰囲気が変わるので.あれ,結局何を作ろうとしていたんだっけ,そうそう自分が働く場所を作ろうという事だった.働くうえで問題になる点を削っていくことを考えているんだけれど,それはなんなんだろうな.そしてたとえシェアオフィスを作ったとしてもそのあとに持続できるかどうかも重要になるなあという事は思う.持続しないでもいいのか.それが続くことになったらいろいろと縁を切っていけばいいし,続かなくなりそうだったらまとめてたたんでしまったらいいだけで.作ったらあとは適当に済ませておけばいいだろう.原状復帰を求められたらそれなりに回収したらいいし.まあ,適当にやったらいいと思うよ.なぜ朝一からこんなことを考えているのかというと,昨日の夜に鶴田から電話が会って,思った以上にきもいことを話す羽目になってしまったからではある.その中で結婚の話が出てきて,まあいろいろとしゃべったわけだけれど,その影響で結婚という選択肢を選ばなくてもいいようにしようという事を少しだけ思い至っていたんだった.その時の理路はこうで,結婚については悪い部分と良い部分があるので,結婚するべきかどうかを決定することは不可能である.悪い部分は結婚式や子育てを通して罰金や懲役のようなものが発生すること.そして性的に拘束されてさらなる罰を受ける可能性が発生していること.それらのことを忌避する傾向によって,少なくとも僕は結婚から逃れようとしているところが存在するという事だった.そして良い面としては,恋愛と性愛を通して自分が安定化することだったり,自分が働くことの意味付けが容易になったり,周囲からの見られ方が変わることによって自己認識があがるという事だったり,こどもがかわいいとかそんなことなんだろうな.そして何だろうか.そんな風に静的な判断だけでなくて,感情的な経験については話さなかったんだった.結婚をするべきか否かという問があがった時に,一部の人はやっぱりこの人と結婚したいと思ったからという事になるだろう.僕も一度その感情を抱いたことがあったのでそのリアリティはわかる.だけれどやっぱりその感情をきちんと整理しようとすると,それは結婚したいというものではなかったんだと思う.もう少しきちんと言うなら,それは愛情とか執着を表した勘定であって,それが現行社会の法律で定められた結婚という制度を利用したいという言説に回収されることに違和感を持っているという事ではある.多分フェミニズムのどこかで既に言われていることだと思うし,LGBTの関係でいくらでも掘られている話だとは思うけれど,僕がその子を愛しているし一生一緒にいたいという事の最高の表現が「結婚しよう」という言葉に追いやられていると思う.ただの言語の問題なのかもしれないと思うようになってきているな.もっと別の表現を持ち合わせていたら,結婚しようなんて言葉は出てこなかっただろう.それに結婚しようという言葉には,制度論的な重みが存在しているという事をその言っている本人はいつも気づいていない.言語で代表させるときに,言い表すことのできなかった感情が症状となって現れるものだ.さらには結婚しようという言説は代表しているのですらなくって,何らかの意味を付加しているのも間違いない.あの言葉を口にするという事についてやっぱり何とも言えない気持ちになる.僕があの子に対していかなる契約を口にすることもあんまり気が進んでいないのはそういう事なのかもしれないとは思ったけれど,そうでもないかもしれない.契約をするときの言葉はやっぱり自分の意図したものとは別の意味を付加してしまうなあという事を考えざるを得ない.そしてどうしようと思ったんだったっけ.あとはもう考えていることはないなあ.そうそう,誰かを愛した先に結婚以外の選択肢を作れるようにしたいと思ったんではなかったっけ.最高の愛の表現が法律と国家で権威付けされていなければならないという事に対して,やっぱり自分には気持ち悪さを感じてしまう.デカルトは結婚したんだろうか.そのことが少しだけ気にかかるんだけれど,僕にはそうではないと思いたい.そうでないとあんなに多産な生涯を送ることもできなかっただろうとは思う.そう,何かを生み出すことが生きていくことに対して必要で,それは結婚して子供を作ることとと本質的に等価であると思われる.作り続けることができれば,結婚と子育てを行わないといけない理由を回避することを可能にする.僕が何かを作ろうとしている理由はほとんどそれでしかない.あとはなんだろうか.いやそれだけだな.あとは人間関係をどのようにして作り上げていくかどうかだけれど,それもどうにかなるだろう.昨日鶴田に,一人になっているんじゃないかと心配されていたけれど,自分が孤立しているかどうかは自分の主観によるので何とも言えないという事を答えたと思う.鶴田みたいな友人が何人かいるし,大学の周囲に頼りにしている友人はいくつかいるのでその意味では心配していない.そして何だったっけ,それでもなお精神的に不安定になった時には孤立していると思ってしまうところはあるので,どれだけ周囲に友人がいたところでその時には一人ぼっちになるのは避けることができないだろう.躁鬱の人の進行過程の記述の中で,クラスのムードメーカーみたいな人ですらも懐疑心に襲われたときに無力になるという話を聞いて,孤独というものを回避するすべは結局ないのだろうなという事を思ったような気がする.それは間違いで,精神状態を悪化させなければそれなりに孤独ではない状態で生きていくことができるんだろう.それでは精神衛生をより向上させようという事をテーマにしようかと思ったりもするんだけれど,そんなことを言っても全く無意味でしかない.生きている以上は,生き延びようとしている以上は,精神的な幸福を求めようとしているのはあきらかだろうからだ.そういえば昨日の夕方に,家計簿の記述を変化させることで下部構造を変化させようと思ったんだけれどそういう事も出来なかったなあ.まあ,時間のあるときとかやる気の出たときにやることにしよう.なんとなく暇だったので高田さんにコワーキングスペースの話をした.まあ,こんな感じで話しかけていい反応が返ってくることはほとんどない.それは僕の中であんまり練られていないというか説得的にはなすための方法がまとまっていないというだけの話ではある.まあ何でもいいか.書くこともなくなってしまった.もっといろいろ考えていた気もしないではないけれどそれも終了した.今日の予定は研究室で適当に過ごすし,図書館に行って自然科学系の本を刈りまくることでもある.あとはなんだったっけ.夕方には鶴田の動画を作って佐治に送ることだろうな.まあそれくらいならたやすく作ることができるだろう.適当に大学に残って作業しても構わない.大学の人たちの進捗についても適当に眺めながらなんかやっていこう.多く生きることについてはまだ覚えているが,それが意思決定の基準になるほどには身についていない.いまだ自分の中に恐れが存在していることは確かなので,それを解体しきった時に再度多く生きることが可能になるのだろう.それはやっぱり一歩ずつ進めていくしかないんだろう.昨日よりも今日が,今日よりも昨日が多く生きることになっていたら,指数関数的に変わっていくので,現状については気にしないことにして,未来の変化についてだけ楽観視しておいたらいいのだろう.それにしても今日はやっぱり楽天的な感じであって,こんな精神状態がずっと続いていたらいいのにと思う.まあ,鶴田に研究が5年かかるかもしれないという話をできたのはよかった.そういった話を開陳していても殆ど感情的なブレとか抵抗が存在しなかったという事は,この自動記述の効果ではあると思う.

周囲が盛り上がってきたときには僕はやる気がなくなっている

昨日の夜から少しだけ鬱っぽい気分が深まっていて,朝は書くことすらやる気が出なかった.今は夕方6時でいくつかの外出を終えて,夕ご飯の支度をしながらこのタイピングをしている.本当はタイピングをするつもりはなかったんだけれど,パソコンを開いてYoutubeやいくつかのページを見てみたけれどどうしても時間をつぶす方法が見当たらない.今日の外出時に少しだけ心残りを抱いてしまったので,そのことを少しだけ反芻しているくらいではあるけれど,まあそれでも明日に備えて準備することに集中したらいいとは思う.21時から鶴田と画面を共有しながら結婚式のメッセージを作ることになる.はじめは僕が考えた吹替をやろうとしていたんだけれど,鶴田の方があんまりやる気が出なさそうだったのと,僕もやりたくない気持ちが強くなったのでやめてしまった.そうこうしていると鶴田から再度連絡が来て,21時に鶴田が考えたものを一緒に作ることになるらしい.それはそれで見通せないんだけれど,それでも暇ではあるので参加しようとは思う.昨日の夜から朝にかけてそのことについて頭の中でしこりになっていて,朝起きて鶴田にやっぱりやめようとメッセージを送って少し楽になったのだけれど,再び鶴田が何かやるというのでそのことも少しだけ不安に思いながら過ごしているなあ.どうしても閉塞感が募っているのを払しょくできていなくて,それはこの機構のせいなんだろうか.性的なことについてはある程度解消させることができたし,それについては満足しているんだけれど,それとは別の意味で頭の中がすこし重たい.何を不安に思う事があるんだろうか.とりあえずサークルに関する不透明さをどうにか解消させるか,その不確実性と共存するための方法が必要なんだと思う.自分ではどうにもならないことであると割り切っていられたらいいんだけれど,やっぱり自分の能力と努力次第で結果が変わってくると考えてしまう.そこの割り切りが難しくって,完全に運命論的に需要出来たらそこに対してかける時間が著しく減少する.反対に意思論的に理解すると自分次第でどうとでもなるのですべての時間をそれにささげないと不安定になってしまう.運命論と意思論の中間の態度をどうやってとっていくかという問題はずっと悩まされていて,それが特に他の人の協力が必要になるときには解釈が難しくなってしまう.いつもどちらかに振り切れていて,他の人に対して全力で働きかけてしまうか,それをあきらめて完全に無視してしまうかのに宅になってしまう.その間でちょうどいいところを探さないといけないと思うんだけれど,調整が難しい.今の自分のスタンスを表すなら,やる気のある時に自分の意見を喋りまくって,大体その時に動いてもらう事はできないのでいったんすべてを放り出して,その後に相手から反応が返ってくるのを待つみたいな感じになっている.それはそれでいいんだろうとは思っているけれど,いつもいつも幻滅することになることをしんどいと思う.研究のことについても,あとはなんだろう,サークルのことについても自分が適当にしゃべっているときにすぐに反応は帰ってこないけれど,僕がとっくに興味をなくしているときに周辺の人からの反応が返ってくることが多い.願わくばその流れをある程度あらかじめ見通しておいて,最初の反応がなかった時にいちいち幻滅しないことと,他の人が乗り気になった時に僕も盛り上がれるようにしていたいとは思うようになってきている.大体,僕が何かをやりたいと言っていること自体は,それなりに通用することが多いのでそのこともあらかじめ達観しておこう.僕もそうだけれど,他の人も初めて出会った情報に対してすぐに動ける人というのは少ない.僕の場合3回くらいその情報と出会ったときにニューロンがつながって,その時に行動を始めるくらいかな.それ以上で会うようになるとあんまり興味がなくなる.ほかの人の場合にはどれくらいだろうか.ぼくよりは少なくとも多いとは思うんだけれどよくわからない.そういえば安宅さんのNHKのインタビューを久しぶりに読んで,狭き門より入れという言葉をのたまっていたのを眺めて,やっぱり僕は狭いもんに進もうとしているよなあという事は思わないでもない.しかしながらまだ30まではあと2年.もう少しだけ見定めて,30になった時に上り始める山を決めてそれに全力投入するらしい.その時のために今は一人でできることは何でも首を突っ込んでみるし,会える人にはできるだけ会おう.そういえば2年前くらいまでは「多く生きる」という事を第一原理として生きてきたんだけれど,それに回帰するときが来たのかもしれない.2年前の適応障害の時から「自分が生き延びる」という事を第一原理としていたけれど,そろそろ回復してきたことだし「多く生きる」へ回帰したほうが安定するのかもしれない.生き延びるという事と多く生きるという事の間には,ぱっと見では違いがそんなにないかもしれないけれど,全くそんなことはなくって,これで僕の決断の方向性は大きく変わるだろう.新しいお店を開拓することや誰かと出会う事に対して最大限の勝ちが置かれることになるだろうし,ある程度経済性を度外視した選択をするようになるに違いない.確定拠出年金の設定を大きく変えることにしよう.こんな風に価値観が変わったのは少しだけ大きな金額を自分のために使ったからかもしれない.時に自分のためにお金を使う事は精神衛生上重要であることは昔からわかっていた.わかっているんだけれど,それを実行することが簡単にできるわけではない.お金を使いすぎることもなく,節約をしすぎることもなく,適切な金額を自分に対して使用できるようになることを目的関数にした方がいいと思う.そのためにも一度,例の家計簿の設定を変更して,目標金額を改めて設定することにしよう.下部構造を変えると上部構造も変わる.家計簿を変更することでお金の流れが変わって,その結果として僕の精神や行動が変革することをたくらむことも悪いことではあるまい.何にお金を使うか,何からお金を得るかという事を通して自分の変革を強いるという事をもう少しだけ考えてみよう.あと9か月したら何からお金を得るかという事に対しても自分でコントロールできるようになることを喜ぶべきだ.最適化するべきは出費を減らすことではなくて,経験を最大化することにあるという事に自覚的であるべきだとは思っている.そうだ,この感覚が研究を前に進めるんだった.学会で発表することや論文を投稿するという事を経験することに対して,自己評価をあげるという事を超越した目的を設定することが重要なのではないか.そして経験を最大化するという事はいったいどのようにして評価したらいいんだろうか.それはきっとこのタイピングの中にあるのではないだろうか.タイピングするネタをより多く集めることであるし,さらには人々との会話を行う事でもある.もっときもい言葉を他の人々と共有できるようになったら,自分の経験を最大化できるようになるのかもしれない.自分の経験を誰かに話すことをそれなりにしていった方がいいのかもしれない.そうしていたら消費であるし作ることに対してのモチベーションにもなるんだろうか.疑問なのは作るという行為は言葉で表すことが可能なのだろうかという事でもある.見るという事は完全にとはいえないけれどそれでも言葉で表すことができる.しかし作るという行為はあまりに次元が多すぎて言葉にすることができるんだろうか.自分の中の多次元の概念モデルを頭の中でぐりぐりいじりながら,同時に手も動かしてその操作を現実で行い概念モデルを修正していく.概念モデルを言葉で表すことができない以上は,しかもそれは常に変化していくので俊治のモデルをとらえることがで着ない.やっぱり作るという事は語ることができない.作った人にしかわかることのないなにかがあるように思える.それはちょうど過去に作ったものを眺めて,昔の自分が天才だったと感心するときのように,作っている自分にしか理解することのできない概念だとか理路があるはずなんだと思う.それは論理的思考なんかでは理解することができるはずもないし,その意味で直線の言葉で表現することができない.できたとしても次元の数以上に存在している箇条書きの言説の連なりのようなものになるんだろうな.ヴィトゲンシュタイン論理哲学論考のような形で表現するしかないんだろう.そしてそれを再度自分の中でモデル化することには大変骨が折れる.線形に順序だてて読まれるようなものではなく,ひたすら眺めることを介してそれを再構築していく過程になるんだろう.論理哲学論考の記述がほとんど閉じた論理の構造を描いているという事も重要である.それは作る過程ではありえない.作られたものについての記述でしかない.何の話をしているんだったかな.また抽象的な生き方をしてしまったと思う.お米がたけたので白菜を煮込んで鍋にして食べようかと思う.性愛の問題について解消されたと思ったけれど,この状態はいつまで続くんだろうか.おそらく3日もしたら,もう一度同じ観念に苦しむことになるかもしれないけれど,それでも逃げ道を見つけたという意味では悪くなかったのかもしれない.出口のなさについて悲しくなった時にはあの選択肢をとることも可能であるという事を発見した.いつものようにスマホの画面を見つめてもやもやした気分を抱き続けるよりははるかに具合がいい.それが倫理的に問題のある行為であるかどうかについては僕の中では決着がついていないなあ.まだ僕にはよくわからないという事だけを持っておこう.結局経済的な意味では,こちらの方がいいのではないかという結論に至った.そして僕が恋愛をそれほど必要としているわけではないという事もそれなりにわかっている.性愛の次元で解消されてしまったら,その後に恋愛があろうとなかろうとそんなに問題はない状態が訪れている.今日の昼までの間にドストエフスキー罪と罰を読んで,ソーニャとラスコーリニコフとの関係の描写を読んで,一時的にあの子に対する情熱を燃やしもしたが,それはどこかへと消えてしまった.あれは恋愛だったんだろうか性愛だったんだろうか.やはり性愛の次元が強く影響していたことは否めない.それかもしくは,性愛をきっかけとして派生する恋愛として,あの子に対する崇高な感情を抱いていたのかもしれない.どちらにせよ,性愛と恋愛はセットになっているようで,抽象的なあの子を愛しているという考えは今の僕には拒絶できる.頭が少し痛くなってきた.トイレに行きたいと思っている.そうだな,今の僕自身があの子と今日の子のどちらを愛しているかという問に出会ったときに,ほとんど同じくらいにしか感じていないようだ.それは結局性愛の残りかすとして誰かに対する愛着がわいているんだろうか.まあ,あの子に対して抱いていた特別さというものが,おんなじ条件の女性をまえにしたことで解消されたという事もあるのかもしれない.あの子の特異性がそれなりにはぎとられて,その悩みが一般的なものであるという事に出会ったのかもしれない.例えばラスコーリニコフがソーニャ以外にも娼婦と知り合って,その子がソーニャと打って変わってはつらつとしていたらどうなっていただろうか.とても前向きにその環境で生きていたら,ソーニャのひどい境遇に付きまとっている崇高さも少しだけ減少したんだろうか.ソーニャが気高く描かれていたのは家族のために自分をささげる悲惨さと,それでもなお矛盾なく存在する信仰だったが,前者が取り除かれたときにソーニャの特異性は解消されるんだろうか.やはりあの物語の中で,ソーニャが報われるという事に対して非常な力点が置かれていたけれど,それとちょうど似たような問題を持った登場人物が別に存在していたとしてその人物を救わずにソーニャだけを救うという描き方ができたんだろうか.やはりできないだろう.今日の一件があり,自分の特異性を使ってあの子のことを救いたいという考え方が解消されてしまったように思える.それはそれでよかったのだろう.あの子の問題について不自然な神聖化をせずに文字通り眺めることができるようになったのだから.